不安シリーズ最後かな・・・
未来が不安
だから知りたいと思考する
まだ起きてもいない現実
先取りして知ろうとする
それが無意識な自己防衛
それが人間の思考
未来が不安なのは、
自分でその未来への過程を設定していないから
明確に意図していないから
どうなるんだろう?
ではなくて
どうなりたい??
言葉の変化だけに聞こえるかもしれない
どうなるんだろう?
誰に問う質問?
自分にだよね
どうなりたい?
自分がどういう未来を歩みたいのかという願望
参考記事「不安はミカタ!不安に感謝」。
未来は分からない
進める
前進できる
人間としての器の期限を持つ
死への恐怖は
生まれた瞬間から持つ事は少ない
経験の途中で、
その人それぞれの学びの過程において
遅かれ早かれ
死というものに向き合う。
その時に、
死という器(肉体)の限られた時間の枠があることを
実感させられるのだ。
どんな感覚を知るのだろう?
死を無意識に意識するから、
年齢を気にするのかもしれない
何かにおいて、
年齢制限などを思考し
切羽詰まるような感覚を経験するかもしれない
死という恐れ
毎日、常に意識する人はどれだけいるのだろう?
未来が不安で
未来が知りたくて
自分がどうなるのかを知りたいと思考し
未来が分からないから進めない幻想を抱く
しかし
未来が分からないから前に進めるのだ
明日への期待と希望を持つから進める
未来を知っているから進めるんじゃない
未来を知っていたら勧めないこともある
常に両極にある
未来を知らないから進める
未来を
死という最終地点だと毎日・日常で意思していると
不安よりもさらに恐れとなり進めなくなる
未来への不安があるから
未来を知りたいと思考する
しかし
未来の最終地点に死があると意識をすると
前に進めなくなるかもしれない
明日が終わりと知り、
今日を最高の日として
楽しめるだろうか?
喜べるだろうか?
幸せだと感じられるだろうか?
人は
未来を期待しているから
未来に期待してるから
未来が不安なのだ
未来に死を意識したら
未来を知らないから前に進めているのだから
だから
不安を感じ幻想し
未来が見えないのだ
不安は自己防衛で
不安は死の恐怖をカモフラージュしてくれている
それでも
未来を知り、進む事で
向き合う人もいるだろう
人それぞれの学びの課題があるから
体感し気づき
より日々のありがたみを感謝するのかもしれない
この瞬間の
日々の出来事が、
内観する時間を持つ毎に
変化する自己を感じられるだろう
起きた出来事から
他者を責める思考がぐるぐると絡み合う
渦から抜け出すのは、
不安の捉え方の視点を変えてみると
ストレスとの向き合い方も変わってくるのだろう
だけど
不安は
ネガティブなものという視点だけで決めつけてしまう事で
生き憎さや不安を増加してしまう
不安って?
どんな事が起こるのだろう?
↓
↓
視点を変えてみる
不安をワクワクと構える姿勢に変えてみる
待ち構える
どんなことが起こるのかな
どんな風になるのかな
どうなるんだろうな
風が吹く時に力を入れて構えるような感じ?
不安があるから
見えない未来だから
ワクワクを待ち構える姿勢で、捉え直してみる
そういう思考も人間だから
捉え直せる。