人は、幼少期の環境や育成経過によって
自己価値観が出来上がります。
幼少期の経験が今の自分自身の基盤になっているのは
確かですし、その価値観さえも無意識に
捉え方のバランスを崩していることが多いです。
幼少期からなので、
それはなんの疑いもなく、
なんの違和感もなく
当たり前にある悩みとしてだったり
そういう自分の性格だと誤認識していることも多いです。
何かのヒントが見つかりますように。
なぜ?人は被害者意識をもち続けるの?
過去の親子関係から問く
悲劇のヒロインになり
親であるから・・・
それはただの肩書き
人間であるということは、
生きている限り学びの途中なのだから
親だからというくくりで
ジャッジしたり判断することが
自分自身の思考をより苦しめて
責めてしまっているのではないだろうか
親である前に、一人の人間とし
この世界で人生を学びを得ている。
親も親としての学びがあり
自分自身の癒されていない想いを
子供に投影しているのかもしれない
親であっても、人生の背景がある
子供が知らない人生の時間があり
知らない部分を持っている
親の目線
子供の目線
色々な経験を通して人生を学び
私たちはその経験を通して
心の痛みを感じ
また、心の痛みがあることが
癒されていない
未解決の問題があることを知らせてくれている。
気付いた時に、
現時点の自分で
過去を整理して、
対象の他者をジャッジせずに
許せる人であろう
あのときは、それが最善であった
そして、今こうして
許すということを学んでいるのかもしれない。
許すとは
自分の人生を受け入れること
人生の経験は全て自分の一部になる
なぜ?人は被害者意識をもち続けるの?
変化を避けるための防衛反応
それは自らの、魂は知っている
人は抵抗しようとする無意識な反応をする
被害者である(悲劇のヒロイン)という思考を巡らせて
その変化に向き合えない状況を
思考の中に巡らせて
探しだし
作り出してしまう。
自分はそれによって、免除・保護・優先・特別視されて当然だという、
優越感を得ることで
無意識に存在意義・存在価値を感じる
現実回避の思考。
そんな思考が生まれる
本当は、怖くて不安で前に進む勇気をもてないのだ。
本当は自分も変わりたい気持ちがある。
怖くて、不安で、自信・勇気がないのです
被害者意識である事で、
そこに責任転嫁をさせていれば守られる。と、
思考が幻想を起こしてしまっているのだ。
抵抗し続けることで、
被害者意識になる原因が
負の連鎖を繰り返えしてしまう。
ずっと抵抗するためのエネルギーを使うよりも
一瞬の勇気を振るうためにエネルギーを使う方が
自分に対しては、
きっと優しい選択になるのだろう。
それは、変化のタイミングに気づいているとき
自分にとって良い方向への導きだからです。
未来を証明はできない。
だから
信じられるまで勇気が出ないのが
人間の思考
しかし
わからないから面白い
という発想もあるのかもしれない。
思考の捉え方一つで、
進む一歩が変わってくる
それが人間として
今世で思考を使って
生きているということなのかもしれない。