お母さんに叱られる・・・
お母さんが困るから・・・
お母さんを放っておけない
でも、お母さんを恨んでいる
毒親経験があるとき、
自分の中の本心が見えなくなってしまっている
気づくまで、
母の価値観で生きている。
だから
私という自分が分からなくなってしまっている。
なぜ
したがってしまうの?
幼少期から支配下になる関係を
築いてきてしまったため
幼少期は養育される側として、
親(養育者)に守られて生きている。
親の保護のもとにいます。
その経験の中で
ずっと認められずに受け入れられずにいたことで
母の言うことを聞くと
- 母の笑顔が見れる
- 母が機嫌よくしている
- 母が私に目を向けてくれる
母親に
受け入れられている
必要とされている
と感じられる。
ずっと
毒母を信じて
母からの愛を待ってしまう
その方法を誤認識して生きてしまってきた。
母の機嫌をとることで
「認められ受け入れられ必要とされ愛を受け取れる」という思考が
自分が生きていてよいという
存在意義や存在価値をを感じる。
機嫌を取らないと
受け取れない思考が生まれ
この呪いから抜け出せなくなっている
毒母のために
機嫌を取る自分をずっと演じなければいけない
母にお金を渡すことで
機嫌を取り
母が笑顔を取り戻し機嫌が良くなる
母に受け入れられるために
心ではなく物質に頼ることで
毒母の気持ちはより離れていく
毒親は
子供を所有物に扱い
時にATMのような扱いをし
お金のために
好きでもないことを、
「お前のためにしてやっている。」と罵り
毒がさらに毒を生み出す
恩を着せることで
毒親自身の罪悪感はゼロに変換されている。
いつも心は悲しく
でも、母に受け入れれる可能性を信じている
無意識だからわからない期待
しかし、それが逆効果になっている
怒られないために
機嫌を取りいい子を続けることで
自分らしさを失い
自分らしく生きられないことで
心が壊れていく
やがて心が壊れることで
誰かの助けが必要なほどになる
毒母はそこにつけ込んで
「やってやっているんだから・・・」
とさらに追い打ちをかける
- あんたのために苦労している
- あんたのために我慢している
- こうなったのはお前のせいだ
- お前は親不孝だ
トゲのある言葉で罵倒する
それがより心の傷を広げてしまう
毒母を怒らせないようにと
自分にもっと鎧を着せていく
口答えしない
怒らせないために
我慢をする
言いなりになる
機嫌取りをする
親の要求は正しい
親の価値観は正しい
親の言うことは絶対だ。
もっともっと
呪いにかかり
自分で暗示をかけてしまう
その思いが長年続くことで
支配関係と依存関係が強くなってしまう。
自分らしく生きることをしていない時
その出来事は過剰になっていく
そして、何かのきっかけが気づきを与える
親子関係は他人には言いにくい
心の葛藤が続く。
そこに介入するのはとても難しい
そして、本人は幼少期から続く
毒親の価値観で生きる
まさに親のコントロール下にいる
支配下の下で、母の価値観が当たり前になっている
「自分らしく生きたい」
この違和感を感じなければ
きづかない
そして、毒親なのだと言うことを
本人は自覚を持たないことも多い
何故ならば、
母親というのは比べることができないから
母とは。。。
こういうものだ。
こういう人だ
それは赤ちゃんの時からすでに目の前の人が
母親とは・・というモデルになっているからだ
母親が異常だという認識も持たない
何故ならば
母に受け入れられたい気持ちが
潜在意識にあるから、
無意識で信じているから
受け入れてくれる。
「いつか、私がもっといい子になれば・・・・」
この気持ちは、母への疑い疑念を持つ思考には
変化しないのだから
お互いが創造的に、
お互いの負のスパイラルにあることに気づかなければ
変わらない。
しかし、宇宙の法則では
自分の心の繁栄が現実を再生さているのだから
自分の思考を変えることは難しいと考えるが
心に浮かぶ思考を、意識して塗り替える
上書きをする思考を入れてみる
母に怒られちゃう・・・
→母を憂鬱な気持ちにしても、私には関係がない
母が機嫌がを悪くしてしまう・・・
→母が嫌な顔をしていても、私の言動行動には関係がない
母を怒らせてしまった・・・
→母が怒っても私には関係がないし私は安全だ
紐を解いていくと
母と自分が交差して混じり合っていることに原因を持つ
境界線を親子であってもあることを知る
母が憂鬱な気分になるのは、
母自身が選択して反応していることだ
母側の問題
そのキッカケを与えたかもしれないが
憂鬱になる気分まで
他者側からコントロールすることはできない。
だから、
母が憂鬱な気持ちを選択しても関係がない。
その感情を選んだのは毒母自身なのだから。
母に怒鳴られ罵倒されたとしても
境界を入れてみよう
「〇〇と言われた。」が、
それは母の価値観で母が思考し発言したことだ。
私のものではない。私には関係がない。
母のものだ。
毒親からの呪いを解くのはとっても難しいように感じる
常に反応する毒母がいるからだ
そして、
毒母は
今までのようにコントロールが効かない娘に苛立ちを覚える
この苛立ちの感情が、
より罵倒したり矛盾する発言に変わる
しかし、
何を言われてもそれは
「母の価値観で母が思考し発言したもの、私のものではない。」
そう自分の思考に
付け加えることを意識して
母の思考発言と・私の思考と発言を区別をつけることをしてみる。
小さなこと、だけれど
今までの思考や行動でうまくいかなかったことに
変化を入れるには
今までと違うやり方をすることでしか、
変わらないのだ。
母をコントロールする必要はない。
ただ、
母と私の価値観は違うものと
境界をハッキリとさせる
幻想を取り払う
その意識を繰り返していくことで
流れが変わってくる。
母に受け入れられることが、人生の目的ではない。
自分が自分を大切にして優先にして生きてもいいんだ。
そう知ること。
だから、毒親を選んで経験するために
目の前の母を選んできたのだ
気づきが起きた瞬間から
今までの生き方を手放す岐路にいる
もう今までの選択で生きることをやめてもいい。
もう自由になっていいのだ
自分の人生を取り戻そう
あなたの本来の人生の目的を生きよう
毒親経験はもう終わり
あの時の私には2度と戻りたくない!
そう感じ始めたら
大きく人生の方向転換が起きている
「だいじょうぶ!大丈夫」
ずっと耐えてきた私だからこそ、乗り越えられるよ。
毒母ではなく
自分を心地よくする選択で生きよう
毒親経験の友人の相談を長年受けてきました。
精神的な不安定から病気を引き起こし、
毒親に認めて欲しい分かって欲しいという無意識な思いから
心配をかける自傷行為も沢山ありました。
眠り続ける日、数々の傷痕。
それでも、まだ心の奥では母の愛を信じてしまう。
それが毒母の支配下にいる子供です。
友人として、カウンセラーとして何が出来るのだろう?
と向き合い続け、彼女は毒母の呪いを解いたのです。
親を選んできている
その言葉は何の意味も持たないかもしれない。
しかし、ある一定の思考から
引き寄せていることに気づきました。
その視点から、
毒母の言葉を受け取り直すことを繰り返し繰り返し、伝えて行くことで
絡み合ったツタが、スルスルと抜けていく。
その思考は、毒親から持ち込まれるけれど、
それを求めている潜在意識が、自分の中にある。
その気づきを受け入れた時に、毒になるトゲが溶けていった。
しかし、
同居している時点で同じ思考は繰り返される。
その都度、同じパターンで起こる不安やプレッシャーを解くも、
ある一定の思考から引き起こされている。
自分の価値観を
確実に毒母の価値観で生きている。
その差のある違和感を
仕方ないと捉えていれば、まだ経験の途中なのだろう。
違和感が窮屈で抜け出したい、もう限界!
そう心に勇気を持てた時、その思いの地点がとっても重要。
何故ならば、
強い決心で無ければ、すぐに引き戻されるから。
何十年もかけて呪いをかけられている。
まだ、完全には抜けられていない。
抜けきることは、
自分自身で何度も踏ん張り立ち向かう力が必要になるから
何を言われてもブレない気持ち
抜け出したという思いの地点から
前に進むことが重要。
決心の自分を信じる
毒母もコントロール効かなくなった違和感から、
パワーを増しては
あれこれともがき、今までの経験を
使い果たすように
行動、言動が加速する。
それでもブレない心と
自分を信じる気持ち
が左右する。
毒母本人にも接しています。
目の前で状況がとてもよくわかるので、
罵倒されるのも想像がつきます。
それ自体
毒親側が
コントロールが効かない
心の叫びなので
何度も何度もブレない為の勇気づけをしながら、
今を生きる意味を伝えながら
抜け出す事が出来た。
まだ、違う視点から似た経験を出来事で持ち込むので、
共通する一定の思考を確認し続けることで、
それは幻想であり
今世は大丈夫だよ。
そう伝える事で、感情はバランスを取り戻す。
人は思考が偏ってしまう事で、自分を見失ってしまう。
だからこそ、
客観的な思考で
自分を見つめ直す時間が必要になる。
ひとりで難しい時は
助けを求めてくださいね。
自分が毒親から
何に気づきをもたらされているのだろう
なんの意味もないかもしれない
ただ一つ
思考の捉え方を学ぶ経験を
させられているのかもしれない。
魂の学びは一方方向からの捉え方では
気づきは起こらないから。・・・
たくさんの辛い経験に耐える
強い精神力をお持ちの方だと思いますし
深い愛で人を許すことのできる方です
そうして、
毒親を許し続けて
自己犠牲を繰り返してこられた
勇敢な魂です
これからは
ご自身を優先に生きる未来を
創造し、新しい選択を
その都度、選んでみてください。
経験できたこと
経験を選んできたこと
素晴らしい魂であること
ご自身で誇りにされて
前進されてください。
まだ、経験を続けることも
選べる
だけど、
経験を終わらせることも
この瞬間から
選べる
あなたの人生
気づいた時から
新しいステージです。