ありのままの自分で生きることの難しさは
自分自身が自分を認めて
自分自身が自分を許すこと
自己受容
自己肯定感
自分らしいって?
もしかしたら
過去の経験から、自分がどんな資質をもっているのか
分からなくなってしまっているかも知れない
他者との境界線が無く生きていくと
自分はこんな人と思っていたのが
実は他者の人生にいる自分だったりして
本当の自分を忘れてしまっているかも知れない。
他人軸で生きているということ
他者に受け入れられたいため
自分以外の、自分を演じてしまって、
それが自分自身として
誤認識して、生きているかもしれません。
安全で守られ
自分の意思が通る家庭という居場所から
一歩社会にでると
違う考えを持つ人がいると知ります。
例えば
幼児期におままごとをして、自分以外の人の役をして
他者の気持ちを自然と感じる遊びをしています。
遊びを通して、
子どもの頃からルールを学び
社会のルールからそれないように,集団の中で学ぶことをしていきます
これは、自分の家族のルールを基準として演じています。
この日本では、ルールを守り生きることは当たり前
だから,安心して安全で生きていくことができる。
私たちは、何かから逸れること
集団からはみ出すことを
いけないことだと解釈して
教えられているから
当然と思うかもしれない
しかし、個人的な自己価値観で
思考の矛盾や幻想を良くしています
無意識なので、気づきにくいですが
オリジナリティという捉え方も
また矛盾する思考の一つでもあります。
「オリジナル」「オンリーワン」
ということを好み
人と違う服装だったり,目立とうとしたり
人との優劣をつけようとしたり、
あえて違うことを選ぶ
同じを選ばない。
「違う」を選ぶのは
それが自分の個性として
無意識に自分という存在を主張している。
集団からはみ出すことを、いけないことだと理解していながらも
無意識では、自分を主張する行動をする
矛盾な思考
無意識を意識的に捉えることで
自分らしく生きていくことができるのかもしれない。
ありのままの自分を主張している部分が「ある」のだと意識して探してみよう
ありのままの自分の個性を主張したいという
思いがあることを意識してみよう。
矛盾な思考には
人と違うことに不安を感じる
集団の中で、個性を出してはいけないという
社会のルールの中で、育ち教えられ
守ってきたからこそ
その不安が過ぎる。
そして、右に倣えの思考が生まれ
違うことを排除しようとする思考が
無意識に働き
違うことを
否定する思考が生まれる。
違うことがいけない事だと、
不安がよぎり
自分の本心を抑圧してしまう思考も生まれる
それは
他者からの承認欲求を得ることで、安心に変えてしまうこともある。
親や養育関係にいた大人が、すべて物事を決めてきたり
意見を言っても、一つ返事で同意をしてくれなかった。
味方になってもらえなかった
など
そんな傷があるのかもしれない。
まずは,自分を認めてあげることからスタートしよう。
その中で抜きに出るためには
オリジナリティがなければ
存在感を出すことも出来ないし、
誰かに印象を残すことも難しい。
その中で自分を最前に出して惹き立たせるには,
自分を押し出す
色んなキャラ設定をしてまで,自分を押し出し生き抜こうとする世界
本質的に、ありのままの自分であるとき
自然体で疲れることも無い
トラウマだと思うことが
実は才能であって,個性であって,一番全面に出して認めていくことが
自分の人生の目的に近づくのかもしれない
生まれ持って与えられた個性ならば
それが必要な人生を歩むのだから。
トラウマとして捉えていることも
捉え方一つで、才能に変わることもある。
でも、それが
逆の捉え方では
〇〇をしてまで、全面にださなくても・・・
他にあるだろう・・・とか。
オリジナルなあえて創ることがない自分が
ありのままの自分であり
一番の個性であり
自分らしくいられること
自分が望んで生まれてきた。
この人生を歩むための個性
全面に出すことで、
この人生がうまく回りはじめる。