自分を責めるとき
色んな思考でわからなくなる時
自分と他者を無意識に比べている
羨ましい思考
理想的にみえる
人を自分と縦に並べる
優劣な思考
自分と比べて秤に乗せる思考
ジャッジの思考
その思考はなぜ?
私たちは「個」だけでは完成しない
鏡で自分を確かめるように
鏡がなければ、
自分の姿を確認できない
その感覚に似てる
自分を知るために
他者がいる
他者と比べて生きるために、他者がいるのではない。
自分を知るため
自分だけでは見えてこない
自分を知るため
他者が羨ましい思考は
自分が理想としている姿や
自分が求めている事に
見えるとき
それは自分の思考の中にあり
その姿を目指していることを意味する
投影
人生は 他者と戦うためにあるのではない
自分の魂を輝かせるため
人生は 他者と比べるためにあるのではない
自分自身を知るため
魂の成長のためなのです。
無意識?意識的に?
人と比べる思考は
悪い事でも
良いことでもない。
物事には 裏表があるように
反転する思考があることを知るためにも
二極化の中で学んでいる。
良い悪いを知るためではなく
ジャッジすることが、
いけないことではなく
どちら側も知ることで、統合されていくのだ。
人生をかけて まだ学びの途中だから
今、目の前の誰かが
自分とは違う思考や行動を取るとき
それは、まだ学びの途中
手を貸すのは簡単
しかし、
自分自身が身をもって経験してこそ
学び、感じ、思考し、気付き、に繋がる。
相手に学びの機会がきているとき
見守ることも愛なのだ。
二極化の世界で生き、
学ぶことは 過去世から繋がる事も多く
今世で出会う相手とは、
過去世で真逆の関わり方をしていたのだろう。
もし、
目の前の誰かを許せない
というくらい 辛い出来事を受けた時
もしかしたら…
自分自身が過去世で同じくらいの事を
相手にしていたのではないだろうか?
その時は、学べなかった相手の気持ち
今、一番分かってあげられる状況ではないのだろうか?
少しだけ、そう仮定してみると
何かの気づきのきっかけになるかもしれません。
比べる思考も、必要な要素
否定することが、必要ないのだ。