時代の変化の中
心を自分の軸に戻す時間「意識して」作れていますか
心が疲れてしまうとき
人は、休むことよりも
感情が落ち着くことを探してしまう
探すことは動くこと
行動して何かを埋めるように
その原因を探して動いている時だけ
そのことを忘れているような幻想をおこす
心が疲れている時
しっかりと腰を下ろして止まる
あなたの行動は
もしかしたら
何かがわからない
「何か!」のために動いていませんか
「何か」と言う漠然や抽象的なものではなく
「目的」を持ってみよう
目的も漠然としたものではなく
【明確さ】が大切です。
この明確な何かが見えてきた時
あなたがまた歩み出す時です。
心が疲れてしまっている時
どんな言葉も耳にさえ入らないかもしれない
どんな言葉で、人間は納得するのだろう・・・
精神的な学びを、人生を通してしている
そう気づき理解するまで
その言葉は見つからないのかもしれない。
私たちが人生を生きる目的や意味を
探しているときは
まだその意味が
必要だと信じている
生きる意味や目的はない
「ただある」
そして
「魂の成長のためにある人生」
この言葉が負に落ちるまで、探してしまうのかもしれない
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どんなことに悩み
どんな関係に切磋琢磨し
どんなことで落ち込み
どんなことで苦しみ
どんなことで感情が揺れているのだろう・・・
それさえも
魂の成長のため
その言葉一つで理解できるようになったとき
きっと、自分自身をコントロールできるようになったときだろう
出来事や人間関係
関わった人に対して
感情や原因の矛先を向けているとき
「魂の成長のため」
その言葉は、
どれだけ理不尽で綺麗事で
夢の話に聞こえるだろう
起きていることに
気づきを得ることは
魂の成長である
起きている出来事には
必ず人間関係や自分以外に関わる人から与えられる
自分だけでは、
何も気づくことができないから
比較がなければ
良い悪いと言うジャッジさえ必要なく
全て自分一人で完結して
全てがイエスで〇であり
究極では
比較がなければ、
優劣さえ
快楽さえ
感じることもない世界
人間の世界に降り立つとき
人生の設計をし、器を決めて
思考・感情・心を与えられる
器があるから感覚を感じて
感情を感じて、器で反応する
喜怒哀楽を知るから
身体反応の喜怒哀楽による快・不快を知る
その経験も比較で経験しなければ知らないまま
感情・心・思考がなければ
反応さえしない
もしも
今辛く苦しく心が疲弊してしまっているとき
何の言葉も聞こえないかもしれない
けれど、
その出来事さえも、理不尽であっても
人間として生まれて
この世に降り立つとき
決めたのだろう
「魂の旅を人間としてする」
だから、
起きる出来事は
魂の成長のためにある
嫌な出来事が起きたとき
「魂の成長のために起きたのだ」
そう理解するには時間がかかる
その為の旅だからね。
形あるものは壊れる。
そう言い聞かせて納得するように
日常の出来事にも
そんな言葉があったら
どんなに人は救われるのだろう・・・
そう感じたときにこのメッセージが伝わってきました。
魂の成長のためにある
ただ
それだけだ
理由は後付け
理由は
自己価値観の中でするから空回りしてしまう
理由は後付けだから
自分の価値観の中で、
自分に有利な解釈しか生まれて来ないのだから・・・
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生まれてから
この世のルールの中を生きるように
養育者によって、
その価値観は教えられる
幼少期に与えられる価値観は
養育者によって
一時的に与えられた基準である。
私たちは、
その基準にそって生活をしていくうちに
自我が成長し、
心・思考が活発に反応してくる
その成長とともに、
自分の価値観が作られて生き
自我が形成されていく
形成といっても、
すでに生まれる瞬間を選んでいるように
ホロスコープによって描かれています。
その資質を使い出していく。
と言うのがしっくりくるかもしれない。
自分の資質を持って、自分を生きながらも
社会のルールや自分の価値観によって
たくさんの判断能力が日常で与えられる
毎日が学びであり
判断能力の練習のようなもの
例えば、
算数のやり方を覚えるときに練習問題を解くように
昔は筆算で書いた計算方法も、
子供の時代になるとやり方が変わっていてびっくりしたのですが
それすら、
新しいやり方を教えてもらわなければ使えないように
私たちは日々の中でも、練習している。
自分から見る
白黒思考のジャッジ
良い悪いと言う判断を
生活の中で学ぶ
この練習問題は、どこかの地点で
自分の心の中を見る為のもの
だと気づけるとき
内観をして、
自分の中の思考や感情の反応の仕方や
使い方などについて、
精査するときに使う為の練習なのです。
人のために使うのではない
人を裁いたり、人との違いを比較したりするために
その練習を繰り返してきたのではないのです。
自分のために
自分の経験の中で得たことを
精査して自分に合うものを選び
時代に合わないものを手放し
今使えるものを、選びとるために
日々の中で練習し
経験してきたジャッジであり
白黒思考である。
人間関係に問題が発生する多くは
他人を白黒思考で
自分の価値観に
当てはめて
ジャッジしているときに
起きるのです。
自分との違い
自分との考え方ややり方の違い、違和感
そこに反応するときに
感情がモヤモヤする
その反応のモヤモヤは
違いを示しているかもしれない
けれど、それさえも
自分の人生を見直すために
反応するセンサーとして
身体反応が起きているのです。
他者にも反応してしまうけれど
それさえも、
他者に誤認識で反応していると言うメッセージでもあるし
他者との違いに
身体反応が出てしまったとき
「それは誤認識だよ。
だけど、反応すると言うことは
私の中にあるから反応しているんだよ」
他者を通して見せてくれる反応
その理解をするときに
少し捻って捉える必要があるので
そこに気づくために、一呼吸開けたり
俯瞰したりして捉えることが重要になってきます。
だってね
ストレートに嫌なことを他者を通して反応しているとき
「あなたの反映だから・・・」っていっても
嫌悪感しか浮かばない
だって嫌だから反応しているんだもの・・・
でもね。
もしも誰かが誰かを傷つけていたとき、
それをみて最低で卑怯で悲しい人なんだ。って
反応したとき
《それはあなた自身よ》
って言われても嫌悪感しか感じないでしょ・・・
ここじゃないんだ。
これを捻るのね(だから気づきにくいし人生が学べるし気づくに時間がかかるのね)
あなたが、あなた自身を大切にしていない。
あなたが、あなた自身を傷つけ大切に扱っていない。
あなたが、あなたの心を悲しませているんだよ。
これが気づきであり、あなたへのメッセージ
捻りは、自分に置き換える。
けれど、
これがなかなか思考の中だけでは難しいかもしれない。
だからね
ノートに書いてみてね。
今日見えた景色(人間模様)
今日感じた言葉
今日反応した体の症状
誰が、どんなふうに、どんなことで、どう言う状況だった?
日記にしてみると
自分の中にある課題やパターンが見えてくるから。
できることからやってみよう。
「今日はどんな日だった?」
登場人物を加えて、
どんな言葉や単語が頭に残っているのかを
3行日記でもいいのでね。
書いてみてね。
「魂の成長のため」
あなたの人生はこのテーマが大きな柱になっている。
必要な方の魂へ届きますように❤️