この記事で書いていますが
心理的に感じることは、いろいろな面から見ると
メッセージが送られています。
だけど
起こる出来事に「意味がある?」
この視点を持っている場合かもしれません。
単に、出来事=ついてない・うまく行かない・運が悪い。
そう決断づけてしまえば、
決断の先には、何も建設的な思考が生まれなくなってしまいます。
「毎日つまらない」
この言葉を毎回送ってくるのは
きっと、本人の中では
毎日同じ繰り返し=つまらない
何も楽しいと思う「こと」が起こらない
にあると思うんです。
これも脱線してしまえば、
楽しみは、この瞬間でも見つけられる。
自分の心が、
楽しみを探すことを求めて
感じることをする限り、
楽しいことや喜びと思うことは
感じられます。
だけど
楽しみとか喜び、ワクワクとかというのは
感情なので
瞬間にある感情=継続的ではない
これに気づいていることも重要かもしれません。
旅行に行った時や好きな人と会った後
楽しい時間を過ごした後
終わることに対する
心は、寂しさや悲しみを伴います。
継続する時間があればいいのに・・・
そう感じることは
感情で感じていること
感情は継続しない
けれど、
継続を選ぶことができる
それは、
瞬間に
繋がるようには
感じられない
けれど
出来事の中で、
その都度
感じることで
継続ができる。
戻してw
なので、自分がずっと
楽しみや喜び、ワクワクという感情を
感じようとしなければ
ずっと見つからないので
楽しくない
喜びがない
ワクワクしない
嬉しくない。
を選んでいることになるので
「つまらない」が生まれるかもしれません。
「つまらない」は思考で考えると、
現実に何も起きていない状況
「つまらない」を感情で感じようとすれば、
空虚感かもしれません
日々の出来事の中には
人間の五感を持ち続けている限り
喜怒哀楽が選べる
自分でね。
どんな感情を選んでいる?
そこを観察してみると良いかもしれません。
五感は自分の価値観の中にあるので
人それぞれ違います。
よく言う例では
笑いのツボが同じとか違う
と言う表現がありますよね。
同じ場面で、
同じ感情を選ぶ=共感する人
同じ感情を選ばない人=共感しない人
そこで分かれるのです。
自分を内観することは
自分の感情や思考のパターンを知ることから
いろいろなヒントや思考グセが見えてきます。
主観と同時期の出来事
主観=つまらないと感じている日常
その日常の中にも、
人と接したり家族がいたりして
違う出来事の現実も同時に起きています。
そこにも大切なメッセージがある。
主観から客観的な見方に切り替えてみるとき
違う思考や感情が生まれてくる
人には、
解決したい思考回路の人と
悩み迷いの内にこもる思考回路の人がいるとして
建設的に物事を整理して、断ち切ろうとする時
前向きに新しい思考から、次へ向かう考え方を取り入れようとします。
逆に
物事や出来事に視点を当てて、その中で
迷い悩み、原因を探ったりして、
すでにある内側にあることから解決しようとする人もいます。
これも思考パターンですので
どっちがいいとか悪いとかでもなく
出来事に対して
「自分はどうしたい?」
その視点で捉えようとする時
どんな思考パターンや感情を選ぶかにも気づけると思います。
主観になって物事を見ている時
他者に起きていることには
興味がなく
無関心に近くなる人もいます。
それも自分の中にある思考なので
それに気づくタイミングも
いずれ経験が増えていくと、変化が起きてくる機会が
与えられるのですが
それに気づけるかどうかは、本人次第でもあります。
例えば、友人の例で言うとき
つまらないと言うことを何度となく
訴えてきているのですが
その時に、私が思うのは
毎回、つまらない。と言う言葉と
ご主人が、毎日家にいる
そして、ご主人はいつも決まった時間にトレーニングのために
運動に行くようで
それを毎回聞くのですが
ご主人は、つまらない日々がないと思うんです
忙しい日々がある。
日課を自ら作っている。
能動的な行動
これは、自分が選んでいる日常
つまらない=待ちの姿勢
これは、前回の記事でも書いていますが
つまらないを作らない。
つまらないと感じたら
自分から行動を起こす時間を作る
その状態を示しているので
自分から主導で動く人は、つまらないと言うことを
選んでいない。
そして、
ご主人が帰宅すると
調理師だったご主人が夕飯の準備をするみたいなんです。
これも
ご主人が自分でやりたくてしているので
能動的に行動して、自分のペースを作って
そして、自分の楽しみや喜びとなるものを作る
作ることが喜びとして、お仕事をされてきて
それを日課にしている。
こうして、パートナーは
自分を写す鏡として見せてくれますが
そこに意味があるというのは
主観の思考から客観的思考に切り替えないと
メッセージとしては難しいかもしれません。
ご主人の行動そのものが
待ちの姿勢ではなく
いつも自ら行動を決めて、
自分のペースを作り出している。
また違った見え方でも、出来事からのメッセージは含まれています。
毎日、つまらない・・・と
冒頭にあり(;´∀`)
最後に、ご主人が肺癌の手術をしたので
2週間留守なので、遊びにおいで〜
という内容だったんですが
主観的な思考だと、やっぱり自分の感情を埋めたい意思が強く働くので
仕方ないのですが・・・・・
このご時世なので、もちろん付き添いはしなかったようですが
家でドキドキだった。と書いてあったんですが
私からしたら、何よりご主人が一人で手術に向き合うことを考えたら
心細かっただろうな〜って思うんですが・・・
その視点に立って考えることが
できなくなっているほど
毎日がつまらないことに、感情がすり減っているのかもしれない
そう感じました。
きっと、大事に至らないからなんだと思うんですが・・・
ちょっと、引いてしまった自分がいたんですが・・・
後から見ると
命の大切さ、時間の大切さを
このご主人の出来事を通して教えてくれていたんだと思います。
だけど、それに気づけないと
この出来事も、ただ運が悪かった。と過ぎ去ってしまいます。
そうして、過去にも同じことを繰り返し
ご主人の入院手術、自分の入院手術と
一度ではないので
命の大切さ・人生の時間を
意識することを
メッセージとして与えられているのかもしれません。
渦中にいれば、運が悪いで過ぎ去ってしまう。
それが人間かもしれない。
だけど
自分と向き合うことをし
この出来事で何を感じ、どう思い
この後の人生をどう過ごすのか
意識を向けていくことで
きっかけの出来事が起きた、
と気づきけた時
同じような似た出来事からの
メッセージは起こらない。
友人は、今世は気づかないんだろうな〜って
思う。私の視点からわかるように伝えても
真意を受け取ってもらえないのもわかるので
ちょっと引いた視点で接するのですが
助けを必要としていない。
ただこの状況をわかって欲しいんだろうな〜と
感じるから。
解決を求めていない。
だから、心を曝け出す友人に出会わないのかな〜って
思ったりもします。
そんな時、悲しくなるのですが
「魂の輪廻転生の違い」というメッセージが浮かび
納得したんですが
今世は、経験を積む魂もいるし
生まれ変わりの若い魂もいる
違う魂が触れ合うから切磋琢磨したりするわけで
ただそれだけの違い。
それに気づいた時
多くは語らずに接していますが
ただ聞いて欲しいだけ、解決を求めていない。
そういう捉え方もあるから
その境目を私は学び経験しているんだろうな〜って
思ったりします。
人と人は
違うから意味がある。
でも、私も心の余裕がない時には無理だな〜と思うので
自分時間や自分が向き合うことを
優先にして、1日の行動を考えて過ごしています。
優先順位を考えて、行動することも
人生を歩む上で重要なんじゃないかなって思っています。