『幸せの選択』
幸せの定義ってなんですか?
幸せの基準は
自分の心
自分の価値観の中での基準で決めている
幸せは
自分の心がふわ〜っと許せた瞬間に感じる感情
幸せは怖いもの?
幸せが怖いの?
幸せになるのが怖いの?
幸せでなくなるのが怖いの?
どんな心理があるのだろう?
人は 幸せを願い 幸せを思う
けれど
幸せが怖い?
幸せの感じ方受け取り方が苦手?
幸せを受け取るのが怖い?
幸せになる状況が怖い?
幸せが壊れるのが怖い?
何を基準に
幸せになるのが怖いのだろう?
何が
幸せを怖いと感じさせるのだろう?
□裏切り?
□見捨てられること?
□離れること?
□受け入れられないこと?
□認められないこと?
□必要とされないこと?
□分離すること?
□終わりを幻想してしまうから?
□未来の思考の幻想?
どんな思考が、繋がっているのだろうか?
人間関係の築き方は 人それぞれ学び方が違う
例えば
□もう、傷つきたくないから と、
人と距離を置き自分を守る人
無意識下には、 過去に人を通しての傷があるのだろう。
□傷ついても、人といたいと
人に依存し、自分の心を埋めようとする人
他者から自分の愛だと認める形での 愛を求めてしまう。
無意識下には 過去に受け入れてもらえなかった傷があるのだろう。
どちらも、学び方の違いはあるけれど
人間関係を通して 気づきがある事には変わりがない。
その時に、
何を感じ 何を思い 何に気づいた?
自分を評価するのではなく
他人を評価するのではなく
自分の感情が何を感じていたの?
□本当は、受け入れて欲しかった
□本当は、認めて欲しかった
□本当は、大切にされたかった
□本当は、愛して欲しかった
□幼少期に感じた心。
□傷ついた経験
インナーチャイルドの声。
パートナーシップでは、
生活の中で、日常の当たり前が続くと
お互いのインナーチャイルドが、 顔をだし
相手に投影して、 傷の部分を相手に求め(癒し)始める
無意識に。
無意識にあるからこそ、
気づかせるために他者へ投影してしまう。
癒されていない感情を
パートナーに投影して 癒そうとしてしまう。
相手に期待を求める
自分の傷は、自分で癒さずに 相手に期待して求めると
自分の中のインナーチャイルドは
過剰反応してしまう。
「そんなはずではない…」と。
心の傷 心、魂が求めていることは
自分しかわからない。
感情、思考、行動も 自分の事は、自分でしか選択ができない。
だから、自分を癒せる方法や気づきは、自分しか分からないし
自分でだけできるのだと、知ろう
人間は
人のために生きたい
そう願っている。
根元にある愛 どんな自分にも 「すでにある 愛 」
時にその使い方を
間違ってしまうこともあるかもしれない。
人と競ったり、押しのけたり 裏切ったり、騙したり 無視したり、憎んだり 意地悪したり
しかし、
人のために 伝える表現の仕方を知らなかった
人のために 愛の表現方法がわからなかった。
のかもよ。
その人は
まだ学びの途中
表現の仕方を間違えたかもしれない。
素直になれなかったのかもしれない
それでも、
その人がいつか その間違えに気づいてくれたなら
そう、祈るしかできない
親子関係、パートナーシップでは特に、
愛のレッスンを
お互いに受けているのだから
傷つけ、傷つき 傷つけられてしまった方は
愛の学びのために、我が身を差し出して傷ついた。
傷つけてしまった方は その方法では、
人が悲しい思いをする、
そう気づきを与えられる。
理屈では、通らないこと
理不尽に感じること
思考だけで、処理するには
時間が必要なのだ。
自分が受けた出来事から
何を学び それによって、何を感じたのか?
自分の内側を見ることが大切。
自己対話
受けた出来事にだけ目を向けている限り 他者のせいにしてしまう。
永遠に傷を掘り続けてしまい
感情の矛先を他者に向けてしまうのだ。
そこから何を感じて
どんな感情を経験したのか?を感じてみる。
傷ついた感情は、
出来事と切り離して
自分で癒すことができる。
出来事は、感情に気づくためのキッカケ。
どんな感情経験を わたしは選択したのだろうか??
傷ついたことによって 幸せを経験するよりも
我慢する人生を選んでいないだろうか?
何故ならば、
もう、あの時と同じくらいの 悲しみ、苦しみを味わいたくないからだ。
【深い悲しみ、苦しみを経験するくらいならば 幸せは経験しなくてもよい。】
無意識な感情がないだろうか?
幸せを感じることを 許せていない。
幸せを経験することを 自分が自分を許さない。
幸せになり、壊れるのが怖い
幸せだったけれど、幸せが壊された経験をした。
苦しみ、深い悲しみの経験が
過去、過去世にあり
二度と味わいたくないからかもしれない。
たとえ、
魂を成長させるための経験だとしても
理屈では説明できない
それよりも、
今を耐えること 苦しみや辛い経験から
新しい視点での学びを
魂は選んでいるのだ。
無意識に 過去の経験や記憶から
自分に罰を与え
自分には、その方が合っていると幻想し
幸せを避けていることもある。
幸せになれないのではない。
幸せになるのが怖いのだ。
幸せになる選択から逃げている
常にこの瞬間
幸せの「選択」はあるのだから
誰も否定していない
誰も抑制していない
自分だけが選択権を持ち
抑圧するのも
自分自身の思考
周りの意見や周りの目を気にして
自分の本音を選択できない状況であっても
選択しないことを
選んでいるのも
自分自身なのだから
未来は
幸せを選択してみないと
わからないのだ。
この人生一度きり
矛盾する思考。
今世はどうしよう?
幸を選びますか?
まだ先延ばし?
どちらの選択も
今、ここにある。
自分自身へ
幸せの許可
そろそろしてみませんか?
幸せを選択し続ける
それは、シンプルに選ぶとき
簡単で当たり前に変わるのだろう
それは、「生きる」を毎秒選んでいるように
「幸せ」を毎秒選び続ける
だけ
「生きる」を選ぶことは、
当たり前に変わり
毎秒選んでいる感覚すら麻痺している。
それと同じように
「幸せ」を選び続ける、
毎秒選び続けることが
やがて、
毎秒選んでいることすら忘れて
当たり前に「幸せ」を選び続けるようになる。
けれど、
違うことは
人生は経験や失敗を知り気づく
魂を成長させるため
そのために、
自分が意図していない未来がやってきて
経験し、失敗をすることは
必然でもある。
「幸せ」を選び続けていくことは
無意識にはならない
「幸せ」を常に意識し
選び選択し続けることで
【心】が得る感覚。
日常を生きることは、連続のように感じるからこそ
その瞬間、ずっと幸せを選び続けていくことが
難しいのかもしれない
だからこそ
気づいた時に意識を選び直し
「幸せ」を感じる時間を作り
意識を合わせることで
心が解放されて、この瞬間を「幸せ」と感じられる
心の余裕時間、心の許し時間
それが「幸」に直結しているのかもしれない。
朝と夜の時間には
自分の意識を休める時間
自分軸のニュートラルに戻す時間
すなわち、
心の充電器に戻る時間
その時間に
「幸せ」を選び直して
心の癒し許す時間を
作り続けることで
自分自身の軸を確認し
人としてのあり方を確認し
自分の心を
自己コントロールすることにもつながる
自分の人生を生きる
自分軸
他者と
共存して生きるための
人としてのあり方
どちらもあることで
自分を確認できる場所になる。
自分軸
人としてのあり方
自分の人生の基盤であり
それている時には、
戻る場所になり
自分の生き方を確認できる場所でもある。
誰かという他者と比較した価値観で人生を生きると苦しくなる
だから
自分との対比をするために
必要なのです。
人としてどうありたい?
自分の人生をどう生きたい?
幸せの許可