所有と共有の思考

■思考の幻想
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所有は執着を生み出す

執着は【ある】を求めて

「ない」の幻想を生み出す

 

 

すでにあるけれど

ないに焦点が当たり

すでに「ある」が当たり前だと錯覚

ない・ないと探しだす思考が働く

 

 

 

それが強くなると

執着からは「奪い合う」が生まれる

 

 

 

すでに「ある」

それは”当たり前の中に埋もれてしまう”

 

 

そして

もっともっと

もっともっとが生まれて

奪い合う

 

 

 

所有したいと思うことから

「ない」の幻想が生まれて

 

 

なくなる・失うのが怖くなり

なくなるという不安の幻想が生まれる

 

 

所有しようとする

それが

執着になり

 

 

執着が起こるから

「ない」 の幻想を生む

 

 

自分のテリトリーにおいて

「ない」を競争する

 

 

 

すでに「ある」が見えなくなる

 

 

人間の欲は

持続することが難しいから

次のものが欲しくなる

人間の業 

 

 

「ない」に焦点が当たり続けると

当たり前の日々が

奇跡の連続だということを忘れる

 

 

 

この瞬間も

奇跡の連続であり

 

 

誰かの思いが

当たり前の日常に繋がり

 

 

守られている命によって

存在しているということ

 

 

大切なことも

「当たり前」という幻想

感謝を忘れてしまう。

 

 

 

 

共有は分かち合う

分かち合うから「平等」になり

循環する

すでに「ある」

奪い合わないで循環する思考

 

 

ここに視点を向けられる

常に「ある」を知っている

 

 

「ある」を知ると

安心につながる

 

 

全ての領域において「ある」と思考が認識する

 

 

あるを知ると

探すことがなくなる

 

 

いつでも手の届くところにあり

それがなくならないと知っているからだ

 

 

 

 

幻想は私たちに
自分に向き合うことを示している

 

 

 

しかし

幻想は脳にとって都合よく使われるために

気づきを得ることに

時間がかかる場合もある

 

 

どこかの地点で

この世の仕組みに気づく時

この世の幻想から目醒める

 

 

 

その視点で物事を見るようになると

気づきが多く起きてくる

必然で奇跡の連続であると

 

 

この一瞬を大切に

感じて生きることをする

 

 

この瞬間に「ある」

思いを大切に受け止めることができる

 

 

奇跡の連続が

私たちの命を守っている

 

 

視点の捉え方を変えるだけで

生きやすさの源を手にすることができる

 

 

誰のために、なんのために、生きるのだろう

 

 

誰のために→【私のために】

なんのために→【魂の成長のため】

生きるのだろう・・・・・『経験を与えられている】

 

 

 

私という主観の視点で

物事の道理をみるように意識し

 

出来事のキッカケは他者から与えられる

けれど

それを知り

思考の視点を切り替え

意識できるようになると

全てが必然であると

受け入れられるのかもしれない

 

 


お金・愛・自己価値観において「ある」「ない」

所有の思考
共有の循環
 
 

どんな視点で物事を捉えて

日々の選択をしていますか・・・

例えば

人間関係から起こる出来事において

モヤモヤが止まない気持ちが浮かぶ時、手放すこと難しいですか?

それはなぜだろう?

その原因となったこと・もの・人

すでに、そこにはもう存在していない現実

 

すでに終わったこと

すでに済んだこと

すでに過ぎ去っていること・・・過去

すでに原因・問題・対象・対象者・対象物が

目の前にない状態

???

すでに、もうその問題はないという過去 

時間軸では過ぎていること

過ぎた時間軸の中に、その問題となる事柄で感じた

感情や思考が

「その時間軸の中に、整理されていない感情や思考が、取り残されている状態」

過去の時間軸に

感情や思考で整理できていないことが

心の傷やストレスとなり

起き忘れ去られている

 

 

時間は止まってくれない

だから

前に時間は進み

体は時間と共に進み、生きているということ

感情も思考も

過去に置き去りにされているまま

現実が進んでいる。

まだ思考や感情の整理が終わっていない状態である

 

 

思考は過去に時空移動させて

捉え直すことができるので

自分の捉え方・思考の整理をすることで

手放せる問題・状態にある事実

手放すことは

相手から受けたあらゆることを
許すことだと誤認していませんか?

手放すことは
他者を許すことではない

 

「自分を許すこと」

そこに拘っている
自分を

許せない状態(無意識です)

手放せない状態とは

まだその感情を味わいたい

思考の中にとどめておきたい

こんなにも苦しいのに?

まだ体中で、その感覚を味わいたいんだ
味わい尽くしていないから
納得ができていないから
腑に落とせていないから
その時の感情を、感じきれていないのかもしれない

興奮するときの感覚

アドレナリンの刺激が欲しいのかもしれない

だから

解決するよりも
感覚を味わいたいだけ

じりじりとする

ムカムカとする

キリキリする

いろいろな身体反応を

楽しんでいる?

 

そう仮定すると
無自覚だから

思考と身体反応は矛盾を起こしているかもしれない。

もしも
「それはない!」と断定できる時

その思考と感情と

向き合うことができる状態にあるよ。

手放すことそれは

その思考にこだわり続ける
自分を許すこと

「それはない!」と断定したあなたならば

それができるタイミングだよ

その問題なぜ 

まだ思考に蓋をして持っているのですか?

まだ必要ですか?

手放すとどんな弊害がありますか?

手放すことで何かが欠ける感覚や幻想に惑わされないで

手放すことで感情が負ける感覚や幻想に惑わされないで

許すことで感情が刺々しくなる感覚に惑わされないで

あなたの人生は

あなたのために出来事は起きている

自分の内側の反応にあるエゴに惑わされないでね。

あなたは何かを埋めようとしたり

何かを探したりしなくても

すでに「ある」

当たり前で当然という意識や

日々の中に埋もれてしまっているだけ

思考で探さなくても

感じてみるだけで見つかる

心の中、心の内側にね

あなたが存在することが生きる意味です。

 

すでに「ある」を意識して感じて生きてみよう。

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