錯覚と幻想

■思考の幻想
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言葉はツール

 

言葉は錯覚を浮かばせて

妄想させて

思考で捉える

 

 

思考での捉え方は

自己価値観によって処理をする

 

 

 

自己価値観は

経験・感情・環境・養育者・人間関係・人生に関わったあらゆるものによって

形成されている

 

 

 

言葉一つ連想しても

個々によって

違う解釈をすることがあるように

 

 

 

脳は錯覚をして幻想・妄想をする

脳に主語はない

 

 

 

だから

脳で浮かんだことが

たとえ自分の脳内であっても

主語をもたないので

誰のことなのかを認識していない

 

 

ネガティブになれば

それは自分の中で想像されていき

 

 

ネガティブな人の近くで

波動を感じれば

その波動を感じて

 

 

その波動を受け取って考えてしまった

ネガティブな思考を

自分の思考として

捉えてしまう

 

 

 

脳は錯覚を作るから学べることもある

錯覚は幻想があるから気づきにくい

脳は幻想・妄想するから、痛みを回避もできる

 

 

脳が自分の価値観や経験を通して処理する時

誤解が生まれれば

それによって

 

 

感情が反応して

身体的な反応につながり

 

 

私たちは、

自分に意識が向く

自分の中で

何かが起きている感覚を経験する

 

 

その時の

思考の整理の仕方によって

人は自分基準の価値観によって

思考の整理をするために

バランスを崩してしまうことが多い

 

主観のみの

捉え方になってしまう。

 

 

その違和感の経験の積み重ねによって

精神的な探究を始めるきっかけになる人もいる。

 

 

しかし

その原因が何かの法則であるのだと

「仮定する」「疑う」思考を持つことがなければ

変化は訪れない

 

 

例えば

その何かの法則があるという思考が働く時

それは、

自分の中の何かが違う?という

自分に意識を向ける方法になる

 

 

けれど

他者が悪い

置かれた環境が悪い

社会が悪い

自分以外の外側に、一方的に結びつける時

気づきという探究は

タイミングではないのかもしれない

 

 

 

気づくまでの経験不足の場合もある

経験がなければ

人間は「運が悪い」だけで片付けてしまうからだ

 

 

 

気づく時

何か原因があるのだろうか?

その疑問を持つためには

 

 

強制的な終了だったり

変化だったり

失敗や間違えを繰り返すことでしか

気づくことができない場合もあるのだから

 

 

 

失敗は

より良く生きるための材料にもなる

失敗は

立ち止まるための壁にもなる

 

 

 

経験がなければ

良い悪いという

白黒思考さえ浮かんでこない

対象・対比がないのだから・・・

 

 

 

現実的な世界で生活して

思考は見えない領域にある

 

 

 

現実的なもの実際性だけが

真実であると理解している時

 

 

経験して触れて触って感覚で感じるからこそ

真実として実感・理解できるけれど

 

 

 

思考は見えない

だからこそ

想像・妄想・幻想という領域になってしまう

 

 

 

このバランスをどうとっていくのかが

とっても大切になります。

 

 

思考と現実を直結させて考え・理解しようとすればするほど

空回りしてしまう。

 

 

なぜならば

起きる出来事は、

思考によって再生されているからです。

思考が現実の中で再現される

 

 

 

その思考の現実は

思考の中にある「気づき」のためにある

 

 

 

混乱してきちゃうね。

思考で思っていることが現実になり

 

 

現実で起きていることを

思考で捉えようとすれば空回りする

 

 

何が言いたいのかというと

順番

 

 

 

現実的な何かが起きて

私たちは、それに対して

 

 

後付けして

理由を探したり間違えだったり否定だったり

 

 

後付けで思考を

出来事に当てはめて考える

 

 

逆であるということ

 

 

 

思考が先にあり

現実的な出来事が後に起きている

 

 

 

だから

現実的な出来事はキッカケであり

思考の中に

反応する感情がある

 

 

 

 

例えば

何かの推理をするときに

「〇〇と仮定して〜」と先に仮定をたてませんか

 

 

 

その仮定こそが、

先に脳の中で思考をしているということ

なので、

仮定の中に気づく必要のあることが見つかる

 

 

 

思考は自分の脳内・記憶・心の中

そこにある事柄の再現が

現実的なものとして再現されている

 

 

 

例えとしては

お金がない・ない・・・

思考を強く持っていると

現実的にも出費が多くなって、なくなっていく現実を作り出していく

思考が先にあって、現実が後

 

 

 

恋人に受け入れられたい思考愛されたい思考

そう思考の中で強く思っているとき

受け入れられたい願望=受け入れられないと思考している

自己否定の内面があるので

受け入れられない現実が起きて、愛されない現実が起きてくる

 

 

受け入れられたい=

受け入れられない、自分が自分を受け入れていない

という思考が、脳内にあるという

気づきのために

 

 

愛されたい=愛されない、受け入れられないという心理があり、

自分が自分を愛していないという事実や

愛されるに値しない、という

幻想や妄想、過去の経験によって

 

 

〇〇でない自分は愛されない

受け入れられないという

自己否定がある可能性

その気づきのために、

気づくまで似たパターンを繰り返し起きてくる

 

 

 

現実的には、

受け入れられない相手を選んだり

愛されていない感覚を感じたりしてしまう

現実を再現してしまう。

 

 

 

 

脳は幻想や錯覚を起こして、

私たちの思考を騙していたりもする

 

 

現実を生きている私たち

思考は見えない領域

 

このバランスが崩れていくことで

どちらが先にあるのかさえ

幻想によって書き替えられてしまう。

 

 

 

内面をよく観察して

どんな思考のパターンがあるのかを

理解されていると

思考の幻想に惑わされることもなくなります。

 

 

自分自身で、気づきを得られるからです。

 

 

 

 

すでに答えを持っている

自分の内面の中に

だけど、

心の傷となってある場合が多いので

 

 

自分の内側にあるという

事実を受け入れられない

信じにくいし、

紛らわしく

絡み合う心理を見つけにくい。

 

 

 

 

思考の幻想から目覚めて

真実を知る

真実は自分の内側にある。

 

 

現実は思考の再現・再生

その出来事に惑わされない

 

 

そのために

現実は、思考の再生だと知り

起きた出来事から、

反応する

思考・感情を観察することから

気づきにつながるヒントが見つかりやすいので

 

 

はじめは、

ノートにその時に感じたことを

考えたことを記していくと

一定の思考パターンにつながることに

気づきやすく

 

 

その根本が、どこにつながっていた経験かを

見つけ出せる時

解放へとさらに近づくプロセスになります。

 

 

絡み合う思考と現実が

錯覚と幻想によって惑わせる。

 

だから気づきにくい。

 

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