依存関係から、分離・執着を手放すのはどうすればいいの?
依存は
自分の思考との折り合いのつけ方が大切
依存は
思考が持ち続けているもの
依存や執着は
その事実と現実に
「気づく」事から、解放へと向かう
依存は
埋まらない心を、埋めていると誤認識(幻想)している
自分自身が欠けている存在
自分は何かが欠落していると誤認識し
幻想している部分を
他者から補い埋めてもらおうとする
実際では、
誤認識しているけれど
幼少期のまだ幼い経験の時期に
欠けている部分を指摘されたり、
それを感じるような出来事を
経験していることが多いかもしれません
親に言われた
友達に言われた
関わる環境の中でそういった言葉を受けた可能性もあります。
例えば、
他者と依存関係にある時の思考の中には
あなたがいないと、私はダメになる
あなたがいないと、私は生きてはいけない
あなたがいないと、私はどう生きていけば良いかがわからない
あなたがいないと、私は何もできない
あなたがいないと、私は何も手につかない
あなたがいないと、〇〇〇・・・・
このような思考が浮かぶとき、
自分自身が欠けているから
他者によって、私は成り立っている
と、誤認識している可能性が高いです。
人は一人では生きていけない
けれど
他者との関係の中で、依存的な思考になり
それが生活の一部で当たり前という認識によって
自分の人生を、自分で責任を取ることを避けてしまいます
特に
自分自身を受け入れていない
自分自身を認めていない
自分自身のありのままを愛していない
自分自身を許せていない
そんな心理状態も隠れています
依存のヒントは
過去の経験の傷にある
過去に経験した傷
その経験が、感情を修復しようとする思考から依存という形で
「埋めているという感覚を得ようとするもの」
依存って
埋める感覚・補う感覚という感じが無意識に起こっているので
心の傷を埋める感覚
心の傷を補う・カバーする感覚
心に何かを覆い被している状態
例えば、
雨漏りしてブルーシートをかけているような応急処置の状態
実際には、原因の部分を修復しないと直らない
そんなイメージです。
思考は何かで、蓋をする感覚で
その部分を修復しているような幻想をしている。
傷に絆創膏をはるけれど、
消毒をしていなくて、そのまま放置していたら悪化してしまった。
そんな感覚が
水面下が起きていて、時間が経つほどに麻痺してしまう。
傷だったら、痛みとして出てくるので嫌でも処置しますが
心という傷は見えないもの、自覚しにくいこともあるので
長い間、放置してしまう。
その感覚が、冬に古傷が痛むように
何かのキッカケで
その感情が元で、似たような思考が浮かんできたり
似たような感情経験を引き起こしてしまっている。
ブルーシートや絆創膏のような感覚で、
無意識に
他者を応急処置のような幻想をうみ、当てはめてしまうとき
他者が
心の傷を埋めてくれる感覚によって
安心や満たされた感覚が一時的に起こる。
一瞬の安心感や不安な感情から解放される感覚から
脳が、その人が埋めていると
誤認識を起こしている。
他者が心の隙間を埋めたりすることはなく
一時的なものでしかない。
一時の満足感や達成感が
「埋めている・補っている」と幻想(誤認識)している
そのために、
埋めている感覚を得ていると誤認識していることで
補って応急処置状態の他者がいなくなることが怖くなる。
ブルーシートが無くなるように
傷がむき出しになってしまうから
他者がいなくなること・離れること・手放すことが
不安や恐れとなり
依存や執着して、手放すことへの抵抗感が現れる
傷口がむき出しになってしまうから・・・怖い。
感情が大きく揺れるから
一時的な応急処置は
自分の心の傷や本質から
目を逸らしている状態なので
見たくない心の状態を
他者によって感じる幻想が
自分の本心を見なくてもいい時間として
すり替わってしまう。
依存は
思考の中で、「折り合いをつけている事柄・他者」
自然と
心の拠り所になってしまっている感覚も得られる
だから、
依存している人・事柄は
無くなったら困ると幻想(誤認識)している
埋めた隙間が空いてしまうから
その恐れがより「依存から執着へと変化」させてしまう
そもそも依存とは
自分以外の外側に求めている もの・こと・人
例えば
アルコール・タバコ・ドラック
恋愛・買い物、ギャンブル・食など
それが強くなってしまうとき
執着に変わり
より手放しにくくなってしまう。
埋めている感覚・補っている感覚が
なくなると幻想することで→手放せなくなる
現実を見ようとしない
現実から目を背けること
自分の本質から目を背けること
現実逃避行動
自傷行動
違和感こそがメッセージ。
何か、視点や論点からズレてるよ。
立ち止まるから
自分と向き合い、考える時間が与えられている
時に
思考を満たすために
衝動的な行動をとろうとする。
それ、逆の行動だから
今は、止まるのサイン
何をしたくて
何のために
なぜ、その行動をしているの?
統一感がなく、支離滅裂になってしまうことも
思考が止まることはなく
行動・行為を繰り返す
行動を続けることで、
思考も感情も
落ち着くと
誤認識する。
立ち止まることで
客観的思考を取り入れる事が出来るのだ。
私は何をしたいの?
私は何のために?
着地点はどこ?
見つめてみよう。
答えは、自分の中にしかないから。
人間関係には、相手がいるので
その中での課題や克服する問題もあるので
自分が、なぜそういう行動や思考になるのだろう?
その先に、過去からつながる心の傷が見つかりやすいです。
アルコール・タバコなどの物質的な依存から断ち切るためには
思考のパターン化を知る必要があります。
例えば
イライラするから→タバコを吸う
落ち着かないから→タバコを吸う
気持ちを開放したいから→お酒を飲む
現実から逃げたいから→お酒を飲む
など
この思考のパターンができている時、この動機を満たすために
イライラしたら→タバコを吸う→動機(イライラ)を達成して→満たされる
落ち着かないから→タバコを吸う→動機(落ち着かない)を達成して→満たされる
気持ちを開放したいから→お酒を飲む→動機(気持ちを開放したい)を達成して→満たされる
一時的に現実から逃避したいから(動機)→お酒を飲む→動機を達成して→満たされる
習慣化することで、この行動が当たり前になり
当たり前が、動機を達成させたことによって
安心に変わる。
動機の達成によって、安心を得ている、落ち着く
などという感覚を得ていると
幻想している。
このパターンを断ち切ること、
新しいパターンを作ることが、
依存からの脱却の鍵かもしれません。
例えば、
イライラするから→タバコを吸う→深呼吸をする。体を動かす
落ち着かないから→タバコを吸う→水を飲む。ガムを噛む。飴を舐める。
気持ちを開放したいから→お酒を飲む→運動をする。絶叫系の乗り物に乗る。スポーツ系、格闘系の映像を見る。
一時的に現実から逃避したいから→お酒を飲む→芸術の世界の空間に触れる(映画・音楽・夢の国・ファンタジーの世界・漫画)
個々に環境にあった方法で、新しい思考のパターンを作ることで
イライラするから→タバコを吸う→動機の達成→安心を得る
これを新しくしてみると
イライラするから→水を飲む
これが習慣化してくると
脳内では、
イライラするときは水を飲めばいいんだ。と記憶する
それを定着させていくことで、
イライラするからタバコを吸う。という思考のパターンが
書きかわっていくので
イライラするから、お水を飲むという習慣化ができてくる。
違う視点から見れば
タバコやお酒に縁のない人は
経験していないことで、脳内では
イライラ=タバコ
逃避思考=アルコール
この思考パターンを持っていないことになります。
なので、依存を脱却したい場合は
動機の先に、新しい行動を取り入れてあげると
動機の次の行動の達成から、安心につながらせて、習慣化させることで
初めにあった依存行動が必要なくなる。
新しい行動があるのでね。
依存からの変化が定着してきたら
次は、「イライラするという感情を持っている。」という
ご自身の、内面の状態や思考の捉え方を
内観するプロセスに移行していくといいのかなと思います。
自分自身で感じたらいい。信じたらいい。
自分の価値は自分で決められる
他者に評価されることは、本質とかけ離れてしまうから
自分自身を認めて、ありのままの自分を受け入れない限り、
他者から
自分の傷を埋めようとする思考は、うまれてくる。
自己肯定感は、自分で増やしていけるんだ。
この瞬間も、
どんな自分も大切な資質の一部
だから
自分を認めて、受け入れて
どんな自分も許して
自分を愛することから、他者との関係も循環していく。
他者に依存や執着する必要さえなくなるのだ。
自己愛に満たされ
自分自身との絆を深めることで
他者に認めてもらうこと
他者からの承認欲求を受けること
それさえも必要がなくなる
自分自身が自分を知り
自分を受け入れてあげられたら
それが一番の満足につながるから
自分の人生の全てを理解しているのは、自分自身だから
誰かにわかってもらおうとしなくても良い
自分が、自分の一番の理解者だから。