日々に疲れてしまい
時に、この瞬間がなくなればいい。
そう思考してしまうこともあるだろう。
人生に疲れてしまったのだろうか
目の前のことから逃げ出したいのだろうか
終わりの見えない未来が怖いのだろうか
目の前の苦しい出来事を終わりにしたいのだろうか
どんな思考の不安や恐怖があるのだろう。
毎日の流れに疲れてしまい
そこに自分の感情がついて行かずに
思考でなんとかしようとしてしまう。
こんなにも頑張っているのに
こんなにも頑張っていても
こんなに頑張るから?
こんなにこんなに?
たくさん頑張っていても結果がついてこないの?
なんでうまくいかないの?
なんで不快に感じるの?
なんで幸せを感じられないの?・・・
思考は、
頑張ることが→結果につながる
我慢することで→何かを得たり、満たされる
そう幻想しているかもしれない。
頑張ることが→美徳だと思考したり
頑張れば→報われる
頑張れば→目の前のことがよくなる
無意識にあるかもしれない
私が!
頑張らなければ
いけない!
この思考はない??
思考は、
無意識が先にあって
無意識の思考が現実を再現させている。
無意識の思考が現実を再現させている。
私が!頑張らなければいけない!
この思考が、現実を再現させている。
頑張らなければいけない状況を再現させ
頑張らなければいけない人を引き寄せ
頑張ることを強いられる現実を創り出す
思考癖というように
思考にはパターン化したものを、誰もが持っている。
しかし
現実は・・・
この堂々巡りになる。
卵が先か鶏が先か・・・
堂々巡りのよう
頑張ることを→やめる!
言葉にすると簡単に聞こえることもあるだろう
しかし
頑張ることで長い人生の経験をしてきた時
頑張ることが、人生を踏ん張れると
思考が幻想している
そして、そのように現実で乗り越えてこられたと
経験から思考で整理され学んでいる。
だから
頑張るをやめられない。
毎日のルーティーンをする人がいらっしゃる時
その感覚と似ているかもしれない
これをしなければ、何か良くないことが起こる
これをしなかったから、悪いことが起きた。
これも全て思考による解釈の判断でしかなく
起きた出来事に、理由付けをするための後付けでしかない。
人生に起こることは必然
ルーティンが崩れることで、よくない出来事が起こるという
確率的なことでは
簡単に意味付けは出来ないのだ。
思考癖は
経験により、
それが現実化したことで
それが正しいと、思考で幻想することで
頑張ることをやめられなくなる。
頑張らなかったから
よくないことが起きた・・・
というルーティンのような解釈をしてしまうから。
それでも無意識な思考が先にあり、現実が再現されていることを理解した上で
頑張ることをやめたい!
やめたいのに、やめられない・・・
頑張るをやめる自分を許せていない。
この思考が無意識にあるのね。
だから苦しく思考だけがぐるぐると空回りしてしまうの。
頑張るやめ方を教えて!…
「人は心をもつ」
頑張っている人は
思考でがんじがらめになってしまう時に、抜け出せなくなっている。
「人は心をもつ」
私たちは、人間だから思考がある
だけど、同時に心もあるんだよ。
心を置き忘れていることに
気づいて。
苦しい悲しい、悔しい虚しい、先の見えない不安や恐怖
それを「思考」だけで考え続けることで、
そこに繋がる
思考が、手放せなくなっているの。
頑張る!は
思考で頑張らなければいけない。につながり
頑張るを
やめることは
自分が置き忘れている心に目を向けるの
苦しい悲しい、悔しい虚しい、先の見えない不安や恐怖
そこから繋がる感情を吐き出してみるの
もう嫌だっ〜
苦しい・辛い・悲しい・虚しい・怖い・助けて
これを吐き出していいの。
涙に変えてもいいんだよ
自分が感じている感情を
認めて感じて
この感情があることを
自分の言葉で吐き出していいの。
頑張るのは思考だよ。
頑張るのが苦しくなった時は、心を感じてみて。
心の訴えに気づいてあげて
心を解放してあげて、
ゆっくりとご自身に目を向ける時間を作ってあげよう。
自分の心を置き去りにしたり
後回しにすることは
自分自身を否定して、
ありのままの自分を、拒否していること
受け入れられていないことと同じ。
他者に受け入れられたい。
そう感じていたら、
優先的に自分へ愛を注いで
受け入れてあげて欲しい
なぜ?
そんなに頑張り続けるのですか
頑張った先には、何がありますか?
どんな感情を求めていますか?