どうしたら人間は、人生の気づきのキッカケを知るのだろう

■思考の転換
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もう長いこと、どうしたら「気づくのだろう」

ここが解けなかった。

 

 

人は人生の中の多くで

気づきのチャンスを与えられている

 

起きた出来事は、きっかけに過ぎない。

そう理解できるだろうか・・・

 

人間の持つ自己防衛反応は、

起きた出来事に対して、第一に原因や理由、関わった人へと

意識が向く

自分を守るため

 

自己防衛反応が働いたという証

 

人は、この繰り返しで日常を過ごしていく

常に、理由や原因・関わった人に意識が向くのは

 

☆「不快を感じたことに関しての、感情のやり場を探しているから」

 

不快を感じていることは、脳内で起き、

☆身体反応で胃が痛んだり、震えたり、汗が出たり、涙を流したり、頭に血が上ったりという身体反応で、体に不調として現れる

 

☆思考は、これを止めるよう、治るように、また思考を働かせていく

 

これが無意識に日常の中に起き、その積み重ねで時間が流れ

忙しさや時間に追われることで、この感情や身体反応はケアされずに

時間の経過に流されていく

 

 

ずっと、出来事の中に理由や原因を探し、

感情の矛先のやり場のために

他者に意識を向ける

 

 

これを続けることでしか、

人は自分の中で起きていることから

身を守る術がないと思い込み

違う方法を見失っている。

 

本当は、自分自身を優先にケアする必要があるのに

外側に矛先を向けていることで、

一時的に誰かのせいになれば

矛先が変わるために

思考では流されたと幻想する。

 

自分のケアを忘れたまま、時間が経過していく。

 

 

自己防衛によって、

自分の守り方を間違って刻み付け、癖として生きてしまう。

これが、自分の内面に意識を向けられない原因

 

 

自分の内側に意識を向ける必要がなくなる原因

自己防衛は

出来事で受けた傷を外側の他者に向けることで、

自分のケアを忘れていることにさえ忘れてしまえるんだから。

 

 

感情は傷ついたまま、放置されているのに。

それさえも、外側に意識を向けていたら

自分の内面は放置されてしまう。

 

 

起きた出来事を、外側のせいにするのは自己防衛反応

だけど、自分のケアを忘れてしまう

 

自己防衛反応が働き続ければ、他者に意識を向け続け

出来事は、他者のせいによって

自分が不快な出来事を与えられた。

そう結論づけてしまう。

無意識に、それが正論のように信じ込む

 

このパターンを無意識に続けていくことで

人は、この捉え方に何の疑問ももたなくなる。

 

だから、人は個々に学びの場が与えられ

そこで、学びとなる人間関係を与えられる。

 

 

学びの関係は、見え方によって

「合わない人」「不快感を与える人」「気に喰わない人」「価値観の違う人」「鼻につく人」と

のちに変化していく。

 

人は、そういう人とは初めから近寄らないので、

初めは相性が良い感じがしたり

共感・似た経験、似た境遇によって惹き合う要素を与えられている。

 

人は、共感が多くなると心を開示し始める、

心の開示から本質が表に出てくる

すると、のちに、「肌の合わない人」だと気づく。

そうして、学びは与えられる。

 

 

特に人間関係においては、仕事関係でも顕著かもしれない。

恋愛においても学びは深いので、

内面にある感情を引き出すほど深い経験も与えられる

 

 

起きた出来事を

外側のせいにするのは自己防衛反応

そして、自分のケアを忘れてしまう

 

どこの地点で人間は気づけるのだろう___

 

 

ある程度の経験を積み重ねてこないと難しい

自分と向き合う時間を取る必要が出てこないと難しい

 

 

結局は

本人がどん底の経験をしたときに

前に向かう時、どう思うか

どう理解するか、どう進むか

 

 

何かを変えたいと思う事は誰もが思考する

その何かをどっちの方向に向けるかで

違いが出てくる

 

 

・誰かを変えようとすれば、同じパターンを繰り返し学びが続く

・自分が変わることを望めば、新しい選択によって

新しい未来の方向に光が刺し始める

 

 

変えたいのか

変わりたいのか

 

誰かを変えたいのか

自分が変わりたいのか

 

 

この意思決定と

そのための行動によって

気づきを得る人と、同じ学びを繰り返す人との違い

 

 

だから、誰かを変えたいと思う事は

物事がマイナスに向かう選択でしかない

 

 

気づいて欲しいと願う事は

祈りでもある

 

だけど、

本人以外、未来の選択はできないのだから

未来が軽やかに進める方法を知っていたとしても

本人の意思がそこに備わっていなければ

現実は変わらないを

選んでいることにつながる

 

 

どうしたら

人間は気づきのきっかけを知るのだろう・・・・

 

 

本人の意思で、自分が変わることを選ばない限り

それは起こらない

 

 

「自分が変われば、人生が変わる」

そう信じられる人、行動できる人だけが

気づきの機会を与えられているようなもの

 

 

人は変わらない。

変えられない。

そう思い込んでいたり、そう信じていたら

変わるという選択さえも

脳裏には浮かばないのだろう。

 

 

自分が変わらないのだから

他者はもっと変えられない

その思考の矛盾にも気づけないことさえも

脳裏には浮かばないのかもしれない。

 

 

ショックな出来事ほど

立ち止まらせられる

からこそ

時間を与えられる

 

 

その時間の過ごし方が

人生の岐路とキッカケなのかもしれない

 

自分は変えられる

自分は変われる

他人は変えられない

 

 

自分の意思決定が人生を選んでいる

 

 

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