毎日漠然と生まれるストレス思考
なぜ浮かんでくるのだろう?
- 1、自分と他者には、思考や価値観の違いがあると知ろう
- 2、自分の価値観で、無意識に人をジャッジしている
- 3、自分が自分を存材に扱うと、人からも同じ扱いを受けてしまう
- 4、身をもって経験する
- 5、プライドを捨て信念を持つ
- 6、客観的思考がクッションになる。
1、自分と他者には、思考や価値観の違いがあると知ろう
ストレスの多くは、自分とは違うという
考え方、捉え方、行動による違和感を感じることから起こる。
何で、どうして、、、、
人の数だけ価値観があり人生経験や学びがある
人生のタイミングも
生きる環境、人間関係、目的、価値観、容姿、過去の経験、両親との関係
何をとっても違う。
同じことの方が奇跡なのだと意識してみよう
これが、価値観の違いなのです。
2、自分の価値観で、無意識に人をジャッジしている
自分には、自分だけに通用する価値観があると認知すること
価値観は、生きるうえでの多くの判断基準になっている
だから物事、人をもジャッジしてしまう。
ジャッジは毎秒しているので無意識、
ジャッジしていることを意識してみよう。
生きるうえでの判断基準、価値観は個々に違う
・育った環境
・関わった人
・養育者・きょうだい関係
同じ人はいない
だから、
正しいと認知するルールや、ものさしとして
無意識に思考の中でジャッジしている。
自分には、自分だけに通用する価値観があると認知する
価値観は
社会の中で生きていくための判断基準
だから
物事・人をジャッジしてしまう
ジャッジは無意識に毎秒しているので「意識すること」が大切になってくる
当たり前に選ぶのではなく
意識して選ぶことが大切になり
自分の価値観で測る選択が
社会では当たり前ではないと「しる」ことが大切。
3、自分が自分を存材に扱うと、人からも同じ扱いを受けてしまう
人に裏切られ
人に粗末に扱われ
人に誤解され
人から攻撃をうける
自分の本当の気持ちを無視して抑圧している時
自分の気持ちを優先にしていないで他者を優先にしている時
その状況に見合う人間関係を
引き寄せてしまう
自分の気持ちを優先にして、
自分を大切に生きる選択を選ぶようにすることが大切
そこに気づいて
自分を大切にしていない時
人からも同じ扱いを受けてしまう。
自分を我慢させて、自分の本心を無視して過ごすことは
我慢する、抑圧する人間関係と出来事を引き寄せてしまう。
アファメーションになってしまう。
自分を傷つける生き方の選択を無意識にしている
それは
自分が自分を大切に、
優先的に思考で浮かぶ思いを選択できていないから。
自分を傷つける選択の生き方を、無意識にしている
そして、それは気づきにくい。
その選択、その生き方、その自分が、
自分を守っているように幻想するから
自分の心を無視することで、自分を大切にできていない。
そう気づけることは、
日々の出来事から解釈するのは難しいけれど
そうなのだ。と仮定して考えてみると
辻褄が合う
自分に一番に寄り添えるのは、自分しかいないのだから
自分の心の傷を知っているのも自分だから。
自分で選択しているという「意識を持って日々の中の選択を選ぼう」
自分に優しい選択できていますか?
勘違いしがちなのが
自分のエゴを優先させる選択
心から望む魂の願いです。
エゴからの思いを
自分の思いだと勘違いして、優先して主張してしまうこともあるかもしれません。
4、身をもって経験する
日々に起こる経験からストレスを感じるのは
自分と違う世界、社会を見せられている
それは、同時に「違う」を「知る」対比
他者を理解すること
知らない世界を知ること
自分の経験にないことを、人は想像するのが難しい
なぜならば、
その想像は、
自分が経験した価値観からでしか想像ができないからだ。
その為に、
自分が同じ立場になって経験しなければ
本当の意味で、他者と寄り添い分かち合うのが難しい
身をもって経験することで、心底感じる心の痛みや思考の理解ができる
人は、自分以外の人にどこまで興味があるのだろうか?
きっと、興味というのは自分を生きる為に必要な部分だけしか
他者を見ることはないのだろう。
他者の人生を知るということは
大切な人であっても、
全てを理解したいという思考を持ち合わせてはいないのだから
それでも人は一人では生きられない
だからこそ、
その人の置かれた状況を身をもって経験する為に
自分の中でも似た経験をする
そこで、得た経験が
やがて他者と、本当の意味で心で寄り添える経験に変わる
5、プライドを捨て信念を持つ
素直になれない捻くれてしまう意固地になってしまう
そういったことが起こりやすく、
違う価値観や物の捉え方・考え方を知ることは
これからの人生において、より多くの選択肢と知恵に変わる
その価値観を否定されたと幻想することで
自分の価値観だけで生きることは
人間関係にストレスを感じることが多くなり
他者を受け入れないことは、他者との関わりも難しくなっていく
自分が正しいという無意識のジャッジにより
自分の世界を小さく設定してしまうことにつながる
自分の価値観を、
他者との違いをジャッジした上で
プライドは、自分を生きる為にもつものであり
ガラスの靴も、持ち主しか履けないのです。
共存する社会だからこそ
自分と他者を分けて考えることが必要
だけど、そう認識するのが難しい場合もある
日々の中で、自分だけに履ける靴があるように
自分にしか通用しない価値観やルールがある
それを他者に履かせようとするとき
感情の痛みが伴うのです。
6、客観的思考がクッションになる。
人との距離感を掴むのが難しいとき、人間関係でも色々なことが起きて来やすい
距離の取り方は、とても重要です
親身になりたいと思っていても、他者にも同じ気持ちがあるだろうか
もっと手を貸してあげたい。
しかし、
他者はどんな考えなのだろう
人それぞれ、同じ時間、同じ場所を過ごしていても
考え方感じ方は、全く違うのです。
自分だけではなく、相手の立場になって物事を捉えることは
相手との程よい距離感を知ることにあります。
近づきすぎても見えない心があるように
離れすぎても理解できない心がある
距離感の取り方が、自分を知り相手を理解することは、とても大切になります。
私たちは日々、人との縁によって魂の成長をしている
人によって支えられ
人によって気づきを与えられている
他者との違いや
変化を伴う感情がストレスになり
自分以外の他者と関わり知ることで、
違いを知るが
無意識なジャッジによって、違和感として不快感を感じさせている
人それぞれに、人の数だけ
感じ方や考え方捉え方があってもいい。
自分以外の他者を認めて許し
あなたも私もOKと思えることが
違いを受け入れ、ストレスがストレスと感じなくなる
あなたの考え方も自分の考え方もOKなんだと
魂で腑に落ちて感じられるようになることで
ストレスという思考を選択することもなくなっていくだろう。
共存の社会だけれど、個々の違いがあってもいい。
個性があるから、
豊かな人生のヒントとして知恵を出しあって
より良くいきたいと願うのだから。