完璧を求めるのはなぜ?

■思考の幻想
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2013年の古い記事を修正しています。

 
 
 
人は常に完璧な自分を求め
追及してしまう。
 
どうしてだろう?
 
 
 
完璧を求めている人の「完璧」はどこの部分だろう?
どんな状態が完璧だったら自分自身が満足するのだろう?
その完璧は、どこを境に完璧というYESがでるのだろうか?
 
 
 
どうしてそんなに完璧を求めるの?
 
 
 
魂は、自分自身が完璧であることを知っている
 
それは自分の中にある「神聖な場所」があると知っている
だからあなたは完璧である
自分を魂の目線では、認めている
 
 
しかし、人間として器(身体)を纏っている時には、
人間として生き、経験することに意味があるので
 
 
 
人間だから完璧でない。
完璧でなくてよいのです。
 
 
 
(・・?)ナゼ?
 
 
完璧な人間だったら学ぶことは無くなってしまう
完璧でない事でたくさん学ぶことができる
学びは、失敗から生まれ
失敗によって、立ち止まり
内観することで、気づきが与えられる
 
 
経験を積むこと
人間として、器を持ち
思考と感覚、時間軸を与えられることで
負荷となり
学ぶために必要なのだ。
 
 
 
しかし
人間であることで
完璧でない自分がいるために
完璧を求める
矛盾が起きてくる
 
 
 
自分の中に完璧な部分があり
完璧(神聖)な自分を知っている
 
 
 
だから
完璧を求めるのは
自分の中の神聖な部分にふれた時
自分自身が完璧ということに気づき
そのままの自分にOKをだす
 
 
 
自分自身の内面にある
神聖な部分から遠ざければ遠ざかるほど
完璧でない自分が嫌になる
 
 
 
だって、
自分は完璧だからと知っているからだ
潜在意識の中で知っている
自分は完璧な存在であること
 
 
 
神聖な自分とは
光であった時の自分ならば
すぐに完璧な自分を認められるだろう。
 
 
 
自分が光であった自分に戻るために、完璧を求めている
完璧であった光という部分に返るために
完璧であることを求めている
私達は神聖であった光の部分を思い出すための旅の途中
 
 
 
魂の部分では完璧であることを知っている
あなたの魂レベルでは完璧である。
 
 
人間であるために完璧でない
完璧でないから
人間として学んでいる途中である
 
 
 
 
自分の中の矛盾に気づけた時
人間としての、ありのままの自分を認め
神聖な自分に触れることで、完璧な自分に気づく
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 

 

 

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