愛は生まれた時から、ずっと今も変わらず
ここ(心)にある。
愛が無い気がする時、
愛を見失うほどに
愛を思考で感じようとしているのかも知れない。
悲しみ、辛さを経験しているとき
心で感じる余裕がなくなってしまい
ただ、悲しみ辛さに視点が当たってしまっているため
悲しみ、辛さ、痛み、傷に焦点がクローズアップしすぎて
客観的に
俯瞰してみることが出来なくなってしまっている。
生まれた時から、ずっとある愛
今もずっとここにある
愛は減ることはない
愛は変わらない
溢れ出てくるもの
愛はふわっとして空気みたいなのかもしれない。
意識しないであるもの
だから
思考を使ってしまうと、どんどん愛が見えなくなってしまう
愛を思考で図ろうとすればするほど、感じにくくなってしまう。
思考は変わるし,変えられる
思考は使い方を間違えると
どんどん重くなってしまう
思考がどんどん重くなって視界を狭めていけば
空気のような愛は軽くてふわっとあるから
余計に見えなくなってしまう
見えにくくしてしまう。
でも、ずっとある
そこにある愛は変わらない
思考でどんどん愛を見えなくしてしまうと
愛がないと勘違いしてしまう。
愛って探すものじゃなく
ずっとそこにあって
ただ感じるもの
静かな時間に触れる時
それは感じやすいかも知れない。
理論的に愛を感じようとする時
それはない。
と表現するかも知れない
心で愛を感じようとする時
たくさんの愛があることに気付き
温かさを感じることだろう。
心というのは
ざっくり表現なんだけど
ひとによっては
雰囲気で感じること=心で感じると表現するかも知れない
心で感じられる時
心に余裕がある状態
愛はバックグラウンド
見えなくても
そこにあるもの
愛は変わらず、ずっとそこにある
愛はバックグラウンド。
必要な方にもメッセージが届きますように