プライドは自分のためのもの
プライドは他者に向けると
武器に変わる
プライドが折れた時
それを誰かのせいにする時
プライドを折られたと感じたり
バカにされたと
幻想してしまうことがある
プライドがおられたのではなく
プライドを他者に向けたから
折られたと幻想してしまった
プライドは自分に持つ思考で
他人に向けて使ってしまうと
プライドを
肩書き、経歴、実績、権力、威厳など
自分に付加して
自分を誇示するために
使っていることになり
自分の強さと幻想してしまう
自分に付加された
肩書きや知識だったり資格だったり
成果や実績、強さ
それは自分のために使うもので
それを他人に向けて
強さとして使ったり、
誇示するために
強調・提示する時
他者へ向けてしまう瞬間、武器に変わる
他者からの
尊敬、称賛を得るためのものに、変わってしまい
目的が変わってしまう
プライドが折られたと幻想すると同時に
自分が自分を、認められていない自分がいることを知る
自分で自分を、認めてあげられていないから
自分で自分を、受け入れてあげられていないから
自分を一番に愛してあげられていないから
自分を一番に大切にしてあげられていないから
ありのままの自分ではダメだと否定しているから
無意識に、
他者からの評価・言動が、自分のことだと誤認識してしまう。
他者や自分以外に付随する事柄から
自己評価を得ようとしているからなのです。
他者からの、承認欲求を無意識に求めてしまっていた部分があった。
自分をありのままに認めて、受け入れて、許していない部分があった。
事実を知るキッカケだったのです。
プライドが折られたと幻想することは
プライドがおられたのではなく
自分の心が痛んだというという
感情のやり場を探していることでもあります。
感情のやり場を
他者に責任転嫁してしまうこと
本当は
自分の心の繊細さを認められていない
真実を隠して本音で生きられていない
本当の自分を認めたくない否定している
繕っている自分と向き合うことの恐れ
など
事実を認めたくない心理が
自分の内側に向かないように、
他者へ怒りとしてエネルギーを向けている事実
プライドが折られたと幻想することは
他者から承認欲求を無意識に求める自分がいて
自分を誇示・誇張していることで
他者との関係で、バランスをとり成立していると
幻想している事実を突きつけられたのです。
自己価値観、自己存在感、優越感として
無意識に評価を求めていたことになり
プライドが折られたと思う時点で
起きた出来事は、
他者から与えられ
自分は他者によって、人生を乱されているという
誤認識しているということになる。
起きた出来事は、自分のためにある
起きた出来事を
自分のためだと、今は認められない時
今が、精神的な学びの
分岐点にいるのかもしれない。
自分の精神的な学びの途中
だから
「今」学べた・学び終えた
学びに変える時
今までは
まだ知らなかった。
学ぶ前の段階だった。
今までが未知だったのだから
学べたことを、自分の内面で反芻させることで
学べたのだから
次は、この学びは必要がない。
けれど、現実では
学べたことであっても、
自分の経験の学びになっているかという
お試しの出来事は与えられる。
その時に、学んでいることで
同じ選択をしないことを選べる。
プライドを他者に向けて武器にしない。
プライドは自分のためにある。
学ぶ前は、その選択肢はなかったのだから。
次に似た出来事が起きた時
学ぶ前と同じ選択をしてしまえば
それは、
学べていなかったことになり
また似たような出来事をきっかけとして
出来事に再現される。
プライドという鎧を纏い
他者に向けて、武器として放つ時
自分の心の葛藤と向き合わずに
他者へ責任転嫁をする
他者のせいにすれば、
自分の心の弱さ、未熟さを認めなくてもいい
自分の心の弱さ、未熟さをみなくてもいい
自分の心が弱く、精神的な未熟者だと認めなくてもいい
だから他者のせいにすれば
自分の弱さ、未熟さを認めなくても良くなる
本当は自分が弱く、精神的に未熟で、学びの途中だと
認めた方がラクなのだ
それが人間であり
不完全であるから学んでいるのだから
完璧を求めるから人間は学び
弱いと認めるのが怖いのは
自分は完璧でありたいと願うからだ。
弱さを曝け出せないことが
意固地なプライドになり
プライドを他者に向けてしまうことで
プライドは武器に変わる
プライドは他者に向けるために持つものではなく
プライドは自分のためにだけ通用するもの
自分の弱さ・精神的な未熟さを
認められいない時
プライドを盾にして、時に武器にして
他人には本当の自分を
悟られないよう、見られないように
闘う思考になる
自分の弱さ(学びの途中の失敗や完璧でない自分)を認められないことは
強く完璧な人間ではない
弱く精神的な未熟さがあるから(学びの途中)人間なのだから
自分の弱さを認められないから、他者へ向けてしまう
プライドは戦うためにあるのではない
自分の人生を進むためにある
他者に向けるプライドは、いらないもの
それを手放せる人が
本当に強い人(精神的な気づきをえた人)
強い人は、弱さをさらけ出せる人
弱さを認められていることが
本当の強さであり
魂の成長なのだ。
プライドを持つことは自分のために大切
だけど
他者に向けて使っている時
プライドを折られたという思考が
他者へ向けて敵意にも変わってしまう
その敵意は、
弱い自分を認められずに、心の中で葛藤する自分の感情
腹が立っているのは、他者にではなく
自分自身になのだから
他者と戦いながら人生を歩むのではなく
他者と共に手を取り助け合いながら
人生の歩みを進める
社会での他者との関わり方が変化している時代
他者と戦い、競い、奪い合いをしている人
他者と手を取り合い助け合っている人
極端に見えてきている。
この瞬間から
その選択も
変えることができる
自分がどんな未来を歩みたい?
そこに他者との戦い方ではなく
自分の内側を見る勇気に変えられる時
新しい世界が始まる
プライドを自分のために使う時
それは前に進む時に
勇気となり
奮い立たせるような力にも変わるのだろう
自分に付加した
肩書きや知識だったり資格だったり
成果や実績
それを自分のために使う時
自信にかわり勇気にもなる。
自分のために歩んできた証だから。
プライドを自分に向けるとき
自分の思いを認める
自分の意見を否定する
自分の考えを改める
自分の間違えを認める
自分の失敗を受け入れる
自分と自分の内面との葛藤が起こることもある
それに向き合うことは
勇気がいること
しかし
一度、自分の内面の思いを認めた時
その一度が大きな転機となり
どんな自分、いくつになっても、
間違うこと
失敗すること
知らないことがあることを認め
どんな自分も
許せる自分が形成される。
そこを経験し超えられる時
自分を許すことを学ぶ
許しは
人間の学びでは
ハードルが高い人もいるかもしれない
それはプライドが高いという人かもしれない。
頑固さや意固地だったり
〇〇でなければいけないという
ルールを曲げられないことにあるかもしれない
プライドは、なぜ必要なんだろう?
何故、自分の中の自分にも
プライドを向けて戦うのだろう・・・
その先に、思考のヒントが隠れていそうだね。
人間は矛盾だらけの思考だから。