人は何故
人を好きになるのだろう
例えば
帰属先を探している
心の理解者を探している
その人に触れたい欲求
その人を知りたい探求
安心や心の拠り所を探す
人間は欲望から人を愛する?
欲望からでないと
人と交わろうとしない?
他者と共感をしたいと思わない限り
他者という違う人物を理解しようとは思わない
違うという分離意識は不快感や
違う物質によって
自分自身が傷を作るということを恐れる
欲望はそれを超えて
相手と距離を縮めて関わりをもとうとする
だから
人間は人を好きになるときに
自分の意思や価値観を手放している
無意識に
人を好きになるとき
恋愛の初期では特に
相手の価値観を知ろうとする
自分を相手の他人軸に合わせ
自分の意思を手放し
好意を持つ相手と
心が通じ合うようにするため
好まれたいために
嫌われないために
共感を得るために
その延長で
お互いに気持ちが通じ合うと
他人軸の自分のままを生きてしまう
すると
恋は盲目と言われるように
恋をすると
受け入れられたい欲求が強くなる
相手に合わせて
相手の好みを演じたり
相手の気持ちが変化しないように
自分を取り繕うとする
自分の気持ちは棚に上げてしまう
自分が何を喜び
自分が何をしたくて
自分がどんなことを感じているか
後回しにして
思考の中には、
好まれたい思い
嫌われない思いが
中心となり
それを軸に考える思考になる
頭の中の中心が自分ではなく
相手の思考に置きかわる
相手に嫌われない基準で
相手がどう思うかを基準で
相手が好きなものを考え
相手がどんなことを思うかを考え
相手がどんな気持ちかを考える
他者の本音
本音が知りたくても
本人さえ本音が分かりにくいのに・・・
相手がどう思うかを中心に
自分が察する相手の価値観で思考し
日常が回るために
自分が後回し
自分の意思がなくなってしまう
自分の意思を手放して
自分を我慢させていることにも
気づけなくなってしまう
だって
愛されたいんだもの
だって
嫌われたくないんだもの
だって
受け入れられたいんだもん
だって
だって・・・
相手にどう思われるか???
を基準に生きる
恋は盲目
恋愛は
他者との違いを一番近くで経験する
相手が何を考え
何を思うかがわからない経験
それによって
違う価値観があり
違う価値観を学ぶ
自分の意思を明け渡してしまったら
恋愛での学びにならない
だから
どこかの地点で
歯車が狂うような出来事が起きてくる
学びが恋愛の意図である時
必然に
出来事で与えられる
それは、
他者が出来事で持ち込むように映るので
自分が被害者意識になる可能性もある
相手に合わせて
相手をコントロールしたいと
思えば思うほど
そうならない現実が与えられ
そうならない現実を経験させられる
意図に反しての出来事が与えられる。
しかし学びは
それをストレートには見せてくれない
出来事が与えられて
ハッとし
客観的思考で内観する時
気づきのヒントが見えてくる
自分が我慢をして
相手に合わせていたことを
それなのに
それなのに・・・(頼まれていないのに合わせていた)
他者によって出来事を与えられる
その矛盾に悲しみや悔しさも感じるかも知れない
自分の気持ちに気づくため
本当の気持ちを隠していたことに
気づかせるため
出来事は与えられる
初めから
好まれるために
自分を繕うことは
その関係が崩れやすいことを暗示している
そのきっかけは
はじめに自分が作ったのだから
自分の本音を隠して
好まれたいために
他人軸を選んでいたことに気づけた時
受け入れられるために
偽る必要がないと知る
受け入れられるために
偽る自分でないと受け入れられない関係は
初めからも後からも
学びのための出会いでしかないのだから
恋愛は多くの学びが与えられる
好まれたい
愛されたい
受け入れられたい
そのために自分を偽るからだ
人間だから
受け入れられたい
必要とされたい
愛されたい
他者と共存していくために
この思考も大切なのだ
他者がいなければ
対比がなければ
学べないのだから
それを知っていることが
自己調整していくためにも
大切なのかも知れない。