悲劇のヒロインは光を見ている

ありのままに生きる
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変化

変わりたい

 

 

 

と、思っている

けれど

・・・

変われない。

 

 

 

思っている

けれど…

顕在意識ではそう思っている

 

 

 

けれど、

潜在意識では

変わりたくない。

 

 

 

だって、わたし

大変なんだもん!!

ムリ!!

 

 

…。

 

 

 

 

悲劇のヒロインを止める決意をしよう

 

 

 

???

 

 

 思っているだけでは、変化はしない。

 

 

 

 

決める、決定する、決断する 行動する

 

 

 

例えば

パターン化したルーティンや思考の選択を変えてみる

 

 

 

行動にうつした後に、

「変わらない…」

 

 

そう気づくだろう。

 

 

 

 

悲劇のヒロインは

自分が中心の見え方をしている

 

 

 

だからこそ

自分自身がこの人生で悲劇のヒロインをしていることも

自分で悲劇のヒロインを選んでいることも

 

 

それに付随する人物、

出来事を引き寄せていることも

 

 

自分がヒロインでいられるような、

人生の環境を選んで引き寄せていることも

気づいていない。

 

 

 

渦中は

渦の中

文字通り。

 

 

 

中心だけにいる時

気づきにくい

 

 

 

そして渦の中心から出ることは

大きな決断が必要になるだろう。

 

 

 

 

悲劇のヒロインであると気づくこと

悲劇のヒロインであることで、

向き合いたくないことから逃げようとしている

気づきが隠れている。

 

 

 

 

悲劇のヒロインでいる時

無意識な思考は

 

 

 

  • 自分の人生に責任を持ちたくない
  • 自分の人生の選択を選ぶのが怖い
  • 頑張りたくない
  • 新しく何かに向き合いたくない
  • 私は辛くて苦しいんだから
  • 私はかわいそうなんだから
  • 人生大変なんだから
  • もっと私を大事にして
  • もっと私をいたわって
  • もっと私を愛して

そう

周りに思われたい願望がある

 

 

 

本当は「守ってもらいたい」

思考が隠れている。

 

 

 

けれど、言葉にできなくて

ちょっと拗ねてみたり、ひねくれてみたり

察してほしい願望がある。

 

 

 

自分の人生を生きることは

自分で責任を取る必要がある

 

 

 

悲劇のヒロインでいる時、

頑張らない自分を

周りは許してくれる

 

 

 

悲劇のヒロインでいることで、

やらなくてもいい事がある。

逃げ道

 

 

無言で保護される。

期待をされない。

人との関わりを避けることができる

 

 

 

メリットい〜ぱい

 

 

 

しかし、

心の中では、悲劇のヒロインは

日陰となり

光がよく見える。

光がストレートに入り込んで眩しく見える。

 

 

 

 

「あ、あの光いいなぁ。浴びたいな。」

 

「でも、私はここで十分。このくらいの光でいい。

 

 

 

 

周りからの距離を取り

少しの光があればいい。

 

 

「このくらいの人生で私にはにあっている。」

 

 

 

諦め・・・

人生の限界を決めている

 

 

 

 

 

光の外の世界

陽を見る時、

それは自分とは関係ない世界

と思考するかもしれない。

 

 

 

 

しかし、そこは

まだ未経験なだけ

今、諦めていいのだろうか。

 

 

 

 

悲劇のヒロインでいる時

自分の傷に向き合わなくてもよいと幻想する。

 

 

 

 

光のある方で

本当は生きたい。

魂の願い

 

 

 

光の方へ向かうと

そこからは影が鮮明に見えてくる

 

 

 

光の方に出た時、

人はその影の存在に

不安や恐怖を強く意識するのだ。

 

 

 

 

影からは光が眩しく見え

光からは影が恐れとして見える

 

 

 

本当に恐いのは、光の側からみる影なのかもしれない。

 

 

 

しかし、

それでも光りの側にいられるのは

 

 

 

影を知っているから

影の自分を受け入れて

選択をできるから

 

 

 

 

影の自分を知っている=影の自分を受け入れている

 

 

だからこそ、

その影の自分にはならないという

選択を常にしているのだ。

 

 

 

 

私たちは選択を自由にできる

それは自由意志

 

 

 

 

誰でもない、

自分の人生の選択権を持つのは自分しかないのだ。

 

 

 

 

置かれた環境、付随する試練などがあるかもしれない。

しかし、

その上でその中での今の最善を選択できる。

 

 

 

 

 

選択権は失われていないのだ。

 

 

 

 

そこに、付随してジャッジしたり

置かれた環境を嘆き、

ジャッジを計りに乗せてしまえば

 

 

それは、

自分の人生の色付けのために選んできた

あの時の自分の選択なのだろう。

 

 

 

選んでいる。

そして決めてきている

この人生で。

 

 

 

 

自分の選択で

この世に降り立つとき

神に誓い。

その資質や環境で魂の成長をすると

自分で宣言しているのだ。

 

 

 

 

忘れているだけ

あの時の決意を。

 

 

 

今世で生きる人生設計を。

 

 

 

 

ここからが

新しい人生のスタート地点

 

 

 

 
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