- 自分と他者には、思考や価値観の違いがあると知ろう
- 自分の価値観で無意識に人をジャッジしている
- 自分が自分をぞんざいに扱うから、人からも同じ扱いを受けてしまう
- 身をもって経験する
- プライドを捨て信念を持つ
- 客観的思考がクッションになる。
自分と他者には、思考や価値観の違いがあると知ろう
ストレスの多くは、自分とは違うという
考え方、捉え方、行動による
違和感(違い)を感じることから起こるのです
何で、どうして、、、、
✨人の数だけ価値観があり人生経験や学びがある
✨人を知る為
✨人に興味をもつため
✨違うことが何で?なぜ?と考えるきっかけを与えるため
様々なタイミング
生きる環境、人間関係、目的、使命、学び、課題
生まれた瞬間が違うように
何をとっても違うのです。
同じことの方が奇跡なのだと意識してみよう
他者との関わりを観察している時に
自分だったら!!
自分の価値観の物差しとルール
私の価値観の色眼鏡をかけて
私の価値観のフィルターを通して
他者を見ているのです。
違うのが、基準なのです。
自分の価値観で無意識に人をジャッジしている
自分には、自分だけに通用する価値観があると認知すること
自己価値観は、判断基準
人生において、自分の価値基準が良い悪いという判断の基準にしている
だから物事をジャッジし、人をジャッジしてしまう。
ジャッジは毎秒しているので無意識、
ジャッジしていることを意識してみよう。
「参考記事」「ジャッジ」を手放すのはなぜ難しいの?
判断基準は個々に違う
・育った環境
・関わった人
・養育者・きょうだい関係
・人生経験
同じ人はいない
だから、
判断基準はその過程で作られたものなので、自分を生きる基準となっていて
正しいと認知するルールやものさしとして、
無意識に思考の中でジャッジされ続けている。
この瞬間も、何かに反応し無意識に
白黒という思考をつけて、
「これおかしい、これは怪しい、これは間違っている・・・」
そう自分にない(違う)価値観を否定する思考
それがジャッジしている思考になります。
自分には、自分だけに通用する価値観があると認知する
価値観は、人生においての判断基準
だから
物事・人をジャッジしてしまう
ジャッジは無意識に毎秒しているので「意識すること」が大切になってくる
自分が自分をぞんざいに扱うから、人からも同じ扱いを受けてしまう
人に裏切られ
人に粗末に扱われ
人に誤解され
人から攻撃をうける
自分の本当の気持ちを無視している時
自分の気持ちを優先にしていない時
引き寄せてしまう
自分の気持ちを優先にして、
自分を大切に生きる選択を選ぶようにすることが大切
気づけていない時
人からも同じ扱いを受けてしまう。
自分を我慢させて、自分の本心を無視して過ごすことは
我慢する出来事を引き寄せてしまう。
アファメーションになってしまう。
自分を傷つける生き方の選択を無意識にしている
それは
自分が自分を大切に、
優先的に本心に浮かぶ思いを選択できていないから。
自分を傷つける選択の生き方を、無意識にしている
そして、それは気づきにくい。
自分の心を無視することで、自分を大切にできていない。
そう気づけることは、
日々の出来事からは解釈するのは難しいけれど
「そうなのだ。」と仮定してから
自分の内側に目を向けて
その内面の心に浮かぶ思考に正直になり
自己対話していくと見えてくる。
自分に一番に寄り添えるのは、自分しかいないのだから
自分の心の傷を知っているのも自分だから。
自分で選択しているという
「意識を持って日々の中の選択を選ぼう」
自分に優しい選択できていますか?
他者に、受け入れられる選択を優先にしていませんか・・・
勘違いしがちなのが
※自分のエゴを優先させる選択とは違いますよ。
心から望む魂の願いです。
エゴからの思いを
自分の思いだと勘違いして、優先して主張してしまうこともあるかもしれません。
自分のエゴの声と、真の声
この二つが自分の思考の中には存在していることに
意識することから
初めてみみよう。
エゴの声は、自分の思いや自我だけを主張した思いです。
自己利益だけ優先させるための思考。
他者の気持ちや考えなどは考える余地もない思考。
自分の心を守るために
自己防衛反応として起きている時
そのエゴの声が真の声のように、語りかけてきます。
自分を正当化するように、語りかけてくるメッセージ
それはエゴの声です。
真の声は、
自分にとって厳しい言葉も伝えてきます。
魂があなたに気づきを与えているからです。
身をもって経験する
日々に起こる経験からストレスを感じるのは
自分と違う世界、社会を見せられている
それは、同時に「違うを知る」対比
参考記事 「この世は二極化」表裏一体を知ることで人生が好転する
他者を理解すること
知らない世界を知ること
自分の経験にないことを、人は想像するのが難しい
なぜならば、
その想像は、自分が経験した価値観からでしか想像ができないからです
その為に、
自分が同じ立場になって経験しなければ
本当の意味で、
他者と寄り添い分かち合うのが難しい
身をもって経験することで、心底感じる心の痛みや思考の理解ができる
人は、自分以外の人にどこまで興味があるのだろうか?
きっと、
興味というのは自分を生きる為に必要な部分だけしか
他者を見ることはないのだろう。
他者の人生を知るということは
大切な人であっても、
全ての人がその心と思考を持ち合わせてはいないのだから
それでも人は一人では生きられない
だからこそ、その人の置かれた状況を身をもって経験する為に
自分の中でも似た経験をする
そこで、得た経験がやがて他者と、本当の意味で心で寄り添える経験に変わる
プライドを捨て信念を持つ
ストレスを感じる出来事の中に、自分の考えを曲げたくない、受け入れたくない
自分以外に違和感を感じることによる
素直になれない
捻くれてしまう
意固地になってしまう
そういったことが起こりやすく、
その違和感は
自分の価値観を否定された幻想をうむときに感じる
価値観は、自分の中でだけ通用するのだから
社会に出て、自分以外の人と接するとき
多くの自己価値観の否定を受ける感覚を幻想するだろう
価値観を否定されたのではなく
違う価値観が悪いのではなく、
違う理解や考え方感じ方がある
そう知るための経験
違う価値観や物の捉え方・考え方を知ることは
これからの人生において、
より多くの選択肢と知恵に変わる
その価値観を否定されたと幻想することで
他者との間に、
敵対という思考に変わるとき
意固地になったり、捻くれてしまったり、素直になれない思考が生まれる
自分が間違っていない!という
正当化する思考が動き出すかもしれません。
ジャッジの始まりです。
自分にとっては、敵となる感覚に変わるとき
狭い価値観の中で生きることになってしまい
それがより、
自分の世界を小さくし
物事の捉え方も、とても狭い中に収まることになる
自分の価値観だけで生きることは
人間関係にストレスを感じることが多くなり
他者との違う価値観を受け入れられないことが
他者を受け入れないことにつながり
白黒つけた思考は、
人を好き嫌いというジャッジでわけてしまう。
他者との人間関係やコミュニケーションの関わりも難しくなってしまう。
自分が正しいという無意識のジャッジにより
自分自身の世界を小さく設定してしまうことにつながる
自分の価値観を、他者に押し付ける必要はなく
自分の中で守る価値観は、あっていい
それが生きる指針になっているのだから
他者との違いをジャッジした上で判断することは
自分の中で、いらないプライドを通すことにもなる。
プライドは、自分を生きる為にもつものであり
自分がもつ価値基準を他者に当てはめることではない。
そもそも、自分と他者は違うのだから
当てはまるわけがない
ガラスの靴は、持ち主しか履けないのです。
共存する社会だからこそ
自分と他者を分けて考えることが必要
しかし
混じり合い流れる日常で
違和感が無意識な思考パターンによる
ジャッジだと認識するのが難しい
日々の中で、自分だけに履ける靴があるように
自分にしか通用しない価値観やルールがある
それを他者に履かせようとするとき
感情の痛みが伴うのです。
客観的思考がクッションになる。
人との距離感を掴むのが難しいとき、人間関係でも色々なことが起きて来やすい
距離の取り方は、とても重要です
親身になりたいと思っていても、他者にも同じ気持ちがあるだろうか
もっと手を貸してあげたい。
しかし、他者は
どんな考えなのだろう・・・
人それぞれ、同じ時間、同じ場所を過ごしていても
考え方感じ方は、全く違います。
自分だけではなく、
相手の立場になって物事を捉えることは
相手との程よい距離感を知ることにあります。
近づきすぎても
離れすぎても
見えない心があるように
理解できない心がある
距離感の取り方が、自分を知り相手を理解することには大切になります。
私たちは日々、
人との縁によって魂の成長をしている
人によって支えられ
人によって気づきを与えられている
他者との違いや
変化を伴う感情がストレスになり
自分以外の他者と関わり知ることで、
違いを知るが
無意識なジャッジによって、違和感として不快感を感じさせている
人それぞれに、人の数だけ
感じ方や考え方捉え方があってもいい。
自分以外の他者を認めて許し
あなたも私もOKと思えることが
違いを受け入れ、ストレスがストレスと感じなくなる
あなたの考え方も自分の考え方もOKなんだと
魂で腑に落ちて感じられるようになることで
ストレスという思考を
選択することもなくなっていくだろう。
共存の社会だけれど、個々の違いがあってもいい。
個性があるから、豊かな人生のヒントとして知恵を出しあって
より良くいきたいと願うのだから。