人間の欲によって見えなくなっていること

■内観・自己浄化・自己愛
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人間の動物的本能の強さを感じるのは

所有したくなること
 
 
好きになれば
自分のものにしたいという
所有欲に駆られ
 
 
所有すれば
もっともっともっと

欲が増す

 
 

汚いなのか

本能だから
正常なのか…

分からなくなる

 

 

 

自分自身の中で満たすならば
争いもないだろう
 
 
しかし
他人の所有しているものまで
欲しくなるから
動物的な欲望
 
 
 
欲望…
全て備わっているから
他者のものまで、欲しくなる
 
 
 
好きになれば
他人の気持ちまで欲しくなり
所有しようとする
 
 
 

私たちは
幸せすぎて
自分自身を扱い切れていないのかもしれない

 
 
 
何かの一部が欠けていたら
埋めようとする
 
 
 

そんなに完全で完璧を目指すのはなぜ?
不完全の何が不満?

 
 

 

自分を認めてあげられていない
自分の全てを知り尽くしていないうちから
欠けていると決めつけ判断して
他者から埋めようとする

 
 
 
他者がいなければ
人間は気づかない
 
 
 
五体満足であるだけで
幸せ
なのに

 

 

もっともっともっと
他者から奪おうとする
他者から与えてもらおうとする
他者に埋めてもらおうとする

 
 
 

障害を持って生まれてきた息子から

気づきを与えてもらう

 

 

聞こえなくても

話せなくても
言葉がなくても
 
 
自分にある中で
楽しみ喜びを感じて
日々過ごしている
 
 
自分の与えられている
全てをいかしていきている
 
 
 
私たちは、五体満足だからこそ

全て与えられている奇跡に

気づかず

当たり前という感覚に麻痺して

感謝を忘れて

日々を流れるままに過ごしてしまう。

 

 

 

 

自分を認めることを後回しにして

他者から奪おうとする
悲しい大人になってしまっているのかもしれない
 
 
 

「満たされている」から

満たされていないと勘違いしている

 

 

一番大切な部分って
当たり前という慣れによって
麻痺させられてしまう
 
 
 
与えられている
この命という平等な時間に
もっともっと感謝して
感じて大切に生きること
選びたい
 
 
 
本当は、満足しすぎて
刺激を欲しているのかもしれない。
 
当たり前と感じることで、
それが壊れることや失うことに
視点を変えてしまうことで
怖さとなっているのかもしれない。
 
 
まだ目の前に、何も問題がない状態なのに
防御する思考が先立っているかもしれない。
 
 
不安を考える時間さえ、与えられている
迷う、考える時間さえ
与えられているという奇跡の時間なのに
 
 
その時間の使い方を選べるのに
不安や恐怖という後ろ向きな思考を選んでいる
それが事実かもしれない。
 
 

 

 

思考は
惑わせて
大切なことに気づきのチャンスをあたえている
 

 

 

自分の与えられた全てに感謝し

与えられている命という時間を生きる

そして

気づける人間でありたい
 
 
この瞬間を与えられていることに感謝
 
 
 
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