【人生とは?幸せとは?意識を変える】葛藤は魂の成長のためにある

■人生とは
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日常で起こる出来事だけに焦点をあててしまえば
思考だけで
ついてない人生
うまくいかない人生
自分ばかり…

思考で判断してしまう

 

葛藤がなければ
魂の成長は起きない

 

葛藤するから
考える

 

葛藤するから
立ち止まる

葛藤するから
己を省みる

 

葛藤するから
気づく

葛藤は
気づきの後
魂の成長につながる

 

魂は

成長するために
気づきが

起きるが

その後にも
似た出来事を通して
再確認のために

出来事が起こることもある

 

似た経験によって
本当に気づけているの?

 

それとも、

思考による理解だった?

 

 

思考だけの理解の時には
同じパターンに陥りやすい

 

魂で気づけている時
ハッとして

気づきがまた起こる

 

「お試しだ!」と理解して
同じ間違いのパターンにならないように
回避できる

 

 

また再確認させられて
魂で気づく

 

 

繰り返されるパターンは
自分自身が
繰り返し(無意識)

続けているために

 

思考は、

無意識に同じパターンの選択を選んでしまう

 

魂で気づきが起きた時
違う選択があることに
気づける

 

 

魂の成長
出来事の理解
自分のパターンに気づく

 

 

その積み重ねによって
私たちは日々を過ごし
魂を磨くために歩んでいる

 

 

ついてない人生
うまくいかない人生
自分ばかり…

 

 

そんな思考が現れた時
「魂を磨くために起きた」

と、

すぐに理解することは
難しいかもしれない

 

 

 

でも、
どこかの地点で、

【魂を磨くために起きたの?】

視点を変えることができた時

 

 

出来事の中に
・起きた理由を探したり
・責任の矛先を探したり
・原因を探したり
・人物を追求したり
自分以外の他者に視点を向けることが
少なくなっていく

 

【魂を磨くために起きたの?】

じゃあ、

「わたしは何に気づく必要があるのだろう」
「わたしが気づけていないことはなんだろう」

 

その視点が加わる

 

 

☆価値観の根源から変えていく

 

 

私たちは生まれて
経験を積んでいく上で

 

関わった環境や

養育関係の人々の価値観によって
社会のルールや

生きる時の基準や

物差しを持つ

 

 

 

好き
嫌い

良い
悪い

 

 

この瞬間選んでいる

 

小さな頃から
食べ物の好き嫌いを感じて
選んでいる

 

 

選択することを
小さな頃から
身に付け
それが当たり前になる

 

 

好き
嫌い
その基準を持つことで

 

常に選択する

ことを
無意識に
生活の中で
当たり前に感じて
生きている

 

 

 

何を食べよう?

「選ぶ」
「選択」

 

 

 

何味
何色
どこで
誰と

 

 

「選んでいる」

 

 

瞬間に
当たり前に

選び選択している

 

 

それは食事だけに限らない
衣食住を選び

 

自分にとって
心地よいものを選ぶ練習をしていく

 

 

すると
心地よくないものは
ということが
ハッキリ分かるようになる

 

 

白黒
ハッキリと自覚し
分けることができる

 

 

 

☆物事に対する価値観を、白黒思考によって決め付ける

という

私たちの無意識な選択

 

 

 

これを毎日
何度も何度も
選択を繰り返していく

 

 

だからこそ
白黒つけて
良い悪いを判断して
心地よいだけを選んでいく
好きを選んでいる

 

特に衣食住に関しては
ハッキリと自覚ができる

 

 

 

だけど
我慢する

 

ハッキリと自覚できるのに
我慢する

 

 

それは
自分の当たり前に感じる

日常の選択だったら
ハッキリと自覚する

けれど

 

 

 

他者が加わることで
他人に映る自分
他人との関わりを考える時
そのハッキリした価値観を
操作する

 

☆他者との関わりになると、ハッキリした価値観に、操作する思考が生まれる

 

 

他者と自分の関わりになるとき
自分の中にハッキリある思考や価値観を
操作してしまう

 

他者が加わることで

 

他者からの、みられ方を考えたり
他者から受け入れられるのかを考えたり
他者から認められるかを考えたり

 

色々な思考が加わって
ハッキリしていた価値観の
好きや嫌い、心地よい、不快、違和感に
モヤをかけてしまって
見えなくなることもある

 

 

それでも
他者がかかわらない
自分の日常に関して
衣食は特に
毎日選択し、

ハッキリと
好き嫌いで選んでいる

 

矛盾と操作

 

そして
良い悪いや好き嫌いを知ることによって
私たちは
心地よいことが「良い」と結びつける

 

 

心地よいことの連続が好きであり
自分の中で喜びの連続だということを
無意識に感じて
知ることができている

 

心地よい連続が好き
知っていても

 

他者が関わることで
モヤをかけて、
自分の価値観の意思を
操作してコントロールをかけて生きている

 

 

☆矛盾

 

 

心地よいことを選び
「好き」を”選ぶ”人生が
【幸せ】
だと認識する

 

 

体が心が喜びを感じることが
【幸せ】だと無意識に感じる

 

 

それは

 

常に体と心が喜びを感じて
幸せだということが
生きていることの「喜び」であり

その状態が
人生が「幸せな状態」なのだ
と無意識に認識する

 

 

無意識に
☆幸せとは
心も体も常に喜びの状態の連続である

 

 

☆それが良いことである
と認識し

それが良いと理解し

 

そうであることが

本当の幸である

と無意識な

理解をする

 

 

そうである

と、いうことを

誰に言われた訳でもないのに。。。

 

そうであると
経験によって

選ぶことを
続けていることによって

 

人生の幸・不幸という
快と不快で判断している

 

 

 

☆意識の視点を全く違ったものに、取り替えてみる

 

 

私たちは
快と不快
良い悪い
好き嫌い
で人生を捉えている

 

 

だから
良いことだけが続かない時
自分は幸せではない
と無意識に認識している

 

 

良いこと好きなこと、
快が続かないことで
人生という

大きな括りで

 

「不幸」であると
無意識に認識し
人生の評価をする

 

 

それは
好きを選んできたことによる
誤認識でもある

 

 

食べ物は
選んで望んだものが
入りやすいから

その願いが叶うこと
それを続けてきたことで

 

選んで
叶うことが
喜びであると知る

 

 

うまくいかないことが起きて
自分でも
嫌だという感覚を感じることが起こることで
無意識に
不幸だと判断している

 

良いこと悪いこと
その価値判断があるのは
悪いことでもない

 

 

けれど、
使い方を
意識する
必要がある

 

 

良いこと悪いことと
判断することが
私たちを悩ませる

 

 

でも、

良い悪いは実際にはある
だけど

それを受け入れられないのは

 

 

無意識で
好き、心地よい、快は
「幸せである」という

イコールにして
人生の評価をしている
ことによる
誤認識があるからだ

 

 

この無意識な解釈によって
その反対側の
嫌い、不快、が

不幸だと
認識しているからだ

 

 

だから
良いも悪いもないという
言葉だけの説明では

 

魂は響かないし
そうだということを
納得して理解はできない

 

ただ
そういうことなのだ。

 

と言っても

説明がつかないし
説明がつかないことで
人は理解に苦しみ
本当の気づきが起きてこない

 

 

この思い込み
根本から変えることで
捉え方が違ってくる

 

 

☆人生は 私たちの魂を磨くためにある

 

 

人生とは
好き・楽しい・喜び・心地よいが

続くことが
「幸せである」

という
人生とは?についての
捉え方や価値基準を
書き換えてみる

 

無意識の中にあり
誰もが当たり前に思ってきた意識を変えてみる

 

 

人生とは
好き・楽しい・喜び・心地よいが
続くことが
「幸せである」

 

と、誰もが疑いもなく思い続けてきた
意識を変えてみる

 

【人生は 私たちの魂を磨くためにある】

 

この言葉を価値観の基準で生きる時

 

 

人は
きっと「磨く」という言葉に

反応した時

 

 

磨くとは、
努力を積み上げていくことだ

 

と理解するだろう

 

 

すると
「人生は 私たちの魂を磨くためにある」

この言葉を意識して
日常を過ごす時

 

起きた出来事がどんなことであっても
「捉え方の基準が、魂を磨くこと」なので

 

 

出来事の見え方、
捉え方が全く変わってくる。

 

 

例え、
不快であろうと理不尽であろうと、
嫌なことだろうと

 

魂を磨くために

だから、
必然だ
という思考に捉えられる

 

磨くのだから
このくらいのことがないと
気づかないよね

そう思うこともあるかもしれない

 

 

どんなに優秀なスポーツ選手であっても
プロの世界になった時には
自分がまだまだ努力が必要だと感じたり
もっともっと、上には上がいるという
敗北感を感じる経験をするように

 

 

失敗すること
負けること
挫折すること

そう言った経験もしなければ
気づけないことがある。

 

それを魂の目線においても
人生とは?を
置き換えた時に

 

好き・楽しい・喜び・心地よいが
続くことが
「幸せである」

という意識である時に
魂の成長のための人生において
魂を磨くという
捉え方では、疑問が多くなってしまうし

 

 

この捉え方だけに
こだわることで
バランスが崩れてしまい
その時に
人生の評価をしてしまうことで

 

 

人生という「歩みの途中」で
バランスを取り戻せなくなってしまう。

 

 

魂を磨くため
だけど、

人間だから
磨くだけではバランスが崩れてしまう。

 

 

喜びも経験する
喜びを経験しなければ

 

幸か不幸という
評価さえも
知らない経験になるからです。

 

 

喜びの経験もしてきたからこそ
その喜びにあふれた経験が

続かないことが
不幸だと
無意識に捉えているのです。

 

人生とは
好き・楽しい・喜び・心地よいが
続くことが
「幸せである」

と無意識に思い込んでいるから

 

 

だけど

人生とは
「魂を磨くためにある」と書き換えた時

 

 

☆人生とは「魂を磨くためにある」と書き換えた時

 

 

喜びがあった時には、
きっとこう理解するだろう

 

 

<魂を磨いてきたから、
ご褒美だよね
このご褒美があるから、
また磨き続けられるよね>

ってきっと捉えるのだろう

 

人間の思考は、
捉え方を変えることができる

 

それが難しいと

感じる人もいるだろう

 

 

何故だろう?
「自分の価値観だけが全てだ」と
信頼できているからではないだろうか?

 

 

自己信頼ができているならば
自分の価値観の中だけで
小さな世界で収めてしまう人生ってどう?

 

もっと違う価値観に触れてみるのも
楽しいのかも?

 

 

自分の価値観を
手放せない理由があるならば

 

自分の生き方を
肯定したいから

かもしれない

 

 

それならば、自分がまず
歩んできた経験の全てを

認めてあげること

 

頑張ってきた自分を
褒めてあげることを

してあげると良いよね

 

きっと、自分を褒めてあげられていないよ。
認めてあげられていないよ。

 

だから、
自分の通ってきた「経験だけ」を

主張したりすることで
《自分》が他者に、
認められるって思っているかもしれない。

 

まずは、《自分を認める》ことが先だよね。
自分がいちばんの理解者だからね。

 

経験を認めてもらうよりも
自分が自分を認めてあげることをしてみよう

 

すると
経験が自己価値観が大切ではなく
自分が自分の内面をどう捉えているかの方が
とっても大切だと
気づける

 

大切なことの優先順位を
もう一度、チェックしてみよう

 

色々なことが
絡み合っているから
人生は真意が見えにくくなっている

 

けれど
自分の内面に目を向けることで
その真意は、全ての根源で繋がっていることにも
気づける

 

 

これからは
幸・不幸という捉え方に囚われない

 

自分の魂の目線で物事を
捉え直すことで

 

今までよりも
もっと自分に寄り添い
自分の心を知り
自己信頼も深まっていくことができます。

 

 

起きた出来事は必然
それだけでは、

もう説明がつかない時代になり

 

もっと奥にある根源の
幸せとは?

人生とは?

 

 

この根っこを

書き換えて捉え直すことで
起こる出来事の見え方・捉え方
そして

生き方が大きく変化していくと思います。

 

 

魂に届くメッセージがありましたら幸いです。

 

 

coffret11x.hatenablog.com

 

 

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