感情が苦しく
人は他者へエネルギーを向ける
人は自分へエネルギーを向ける
自動思考は
この人生を評価する思考がうまれる
何でこんな人生
何で幸せになれないの?
何でわたしなの?
何で?
何で?
何で?
誰に聞いている?
神さま?
自分自身?
選べていますか?
こんな人生?
それが、「何で?」の回答。
この過程のある
自分の可能性を諦めている
自分の限界を決めている
こんな!
そう言いたい程に
辛い経験をしたのだろう
そう言いたい程に
苦しみの経験をしたのだろう
そう言いたい程に
悲しみを経験したのだろう
>本当(理想)は、どんな人生を選択したかった?
- 本当に望む人生とはどんなイメージ?
- 理想を選べていない理由は何にあるのだろう?
- 本当に望む人生ではない現実では何に気づくためにあるのだろう
- 逆に、反対側の本当の望みが対極にあるならば、何を経験していないのだろう?
- この先、どんな経験をしようとしているのだろう?
辛い経験を通して
出来事やその経験から、
真逆の意図を汲み取る思考にするのは
矛盾だと思うこともあるかもしれない
経験の中で
連続して続いて
パターン化しているのは
続いているのではなく
それを選んでいる
それを選択している
事実
人生は
1コマ1コマを連続しているように感じる
この連続的だと幻想するのは、
思考がつなぎ合わせているから。
この瞬間、この瞬間で
選び直せるのです。
思考がつなぎ合わせていることは
この瞬間
その思考の選択を変えることで
同じパターンを切り取り止めることができる
やめると決める
決断することで
同じ繰り返しや
連続しているように感じている
出来事の中の繰り返しを
やめることができる
決断は分岐点
分岐点を作り出すのは
自分自身の思考
やめると決める
断ち切ると決める
終わらせると決める
自分の思考が
決断し、分岐点を作り出している
思考が分岐点を作り出せるのです。
決めて決断する
それを行動する。
この連続で
人生は繰り返されているように
幻想しているのです。
自分自身が違和感を持ったり
変化を求めたり
何かを変えたいという
思考が出てくる時
自らの選択と決断によって
新しい未来へ続く分岐点を作り出せるのです。
変わらない
変えられない
そう思うことは
新しい分岐点を作ることが難しい
そういう時もあるかもしれない
しかし
誰もが心の何処かに
未来への希望を持っている
そういう未来が
あるのか
ないのかを
決める選択は
脳内では浮かぶ
それを現実的な思考を
今置かれた環境の思考で
判断し、ジャッジしようとすれば
新しい未来が遮断されたような
思考によって、壁を作ってしまう。
けれど
自分自身が決断して
未来の違う姿を創造することで
新しい分岐点は
瞬間にある
この瞬間
新しい選択を選べる
選ぶ選択は
なくならない
選択は
誰の制限もなく
自由
制限をかけているのは自分自身だから
他者や出来事の比較をして
制限して物事を捉えることも
自分の制限でしかない
自分を守るための自己防衛
だけど、
守り方は
他にもあるから。
新しい守り方
新しい頑張り方
それを選ぶ自分自身を
信頼してみることで
新しい人生を
選ぶ自分を許すことにもつながります。
本当に
幸せ
選んでいるだろうか?
幸せ
許せていますか?