自分の可能性の枠を閉じ込めているのは?

ありのままに生きる
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時間の枠の中に生きる

それは人間としての器時間

 

時間の枠を超える

それは、人間だから持つ思考の枠を超えること

 

人間は思考で自分自身を制限し

可能性という未知の力を超えることに制限をかけて生きる

 

 

思考は自由だから

思考は過去にも未来にも飛べる

思考の中を自由に操作をしているのも自分自身

 

 

制限に囚われると自由を失う

自由を優先する時、ルールを見失う

 

 

人間として生きるためには、両方が大切で

そのバランスの中で生きる

 

 

人がバランスを崩すことは

心身の不調として現れる

 

 

心のアンバランス

それは、思考のアンバランス

そして、身体反応がアンバランスからの悲鳴

 

 

どちらも大切であって

どちらに隔たっていても、不調になってしまう。

 

 

今、置かれている状況において

どんな不協和音があるのだろう

 

 

どちらかに偏った思考の捉え方はないだろうか

 

 

偏ったという部分は

自分が渦中にいるとき見えないのだろう

 

 

言葉どうりに渦の中

中心からは、客観的な思考を失ってしまうからです。

 

 

偏ったという見方を知る時

思考や行動や起きた出来事に対して

白黒つけようという思考は生まれていないだろうか?

 

 

白黒思考は

勝ち負けという感情の揺れのような感じがあるかもしれない

負けた気がする・・・

 

 

人生において、他者とは勝負をするためにある関係ではないのです。

勝負をしたいならば

自分自身の中にある思考と思考で勝負してみてはどうでしょう

 

 

こんな考え方、あんな考え方・・・

 

 

しかし偏っているので

自分の中の思考には、いろんな角度で考えたり受け入れたりする思考が

柔軟さに欠けてしまうときもあります。

 

 

いや違う

絶対に違う

そうじゃない

おかしい

 

 

 

そういった思考は、

自分の価値観以外の思考を受け入れることへの拒否なのです。

 

 

他者を拒否する思考は

自分自身も他者から受け入れられないという現実につながってしまう。

 

 

自分以外間違っていないんだもの

自分が正しい

自分ルールを持ち続ける以上

自分が正しいという視点では、解決が見つからない出来事や経験が増えてくる。

 

 

それは、「自分にしか、自分の持つ価値観は通用しない」

自分ルールだと気づくまで、

気づきが起こるためのプロセスとなるのです。

 

 

 

ジャッジする思考や「こうであるべきだ!」という結論づけによって

自分が、自分自身の思考を

凝り固まらせて、偏った思考を作り出してしまっているのです。

 

 

 

思考は自由に変化させることができる

それは、現実的に正しい・正しくない

という答え合せのために、あるのではないからです。

 
 

 

起きた出来事が全て

そして

自分にとっての気づきがあるという

仮定のもとに

何に気づくためのプロセスなのだろうか?

その視点で自分自身を内観する癖がつくと

自分で自分の思考をコントロールし、

自由な発想と制限を超えた思考を選ぶことができるようになります。

 

coffret11x.hatenablog.com

 

 

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