感情を埋めようとして
生きると苦しくなる
傷を癒そうとする
感情を埋めようとする思考は
なぜ起こるの?
心のモヤモヤや不安などから
埋めようと思考が働く
傷ついた経験や
心の傷は
埋めることで
何かが満たされると幻想する
人間の考える思考と
魂の成長のためにある、経験の捉え方の違い
何のためにおきたの?
傷つくために出来事は起きていない
他者からの出来事は
与えられていない
無意識だから気づきにくいけれど
わたしの心とやり場のない感情
抜け出せなくなってしまうから
癒されない
心の中の本音と向き合う必要があるから
違う視点(俯瞰した意識)で自分の感じる答えに
質問を投げかけ続ける時
見つかる
そう言えたら
どんなに簡単だろう・・・
そうならないから
人生の学び
自分の価値観の主張を持ち続けることが
あなたの心の傷から遠ざける幻想であり
惑わせている
迷い悩み感情が痛みを感じるから
人は立ち止まり
本気で自分と向き合おうとする
その境地になって
初めて感じる感覚かもしれない
日常の中で
欲望や顕在意識が優先になっているとき
その苦痛を感じないように
他者に視点を合わせて生きようと
思考回路が向いてしまう
・・・自分を守るため
自分を守っていると
幻想して
自分を主張して、自分の中の価値観の正論を主張してしまう。
・・・自分を守るため
・・・・そう思っていた
・・・・しかし
どこかで気づくのだろう
自分を守っているようで
自分を苦しめているのが
自分自身だったと言うこと
自分を守っているようで
自分の本音を無視して
自分を蔑ろにしていた
自分の内面と対話するのは
本音を認めるので、感情が痛み辛いことも多い
人間の欲望の中の
自分がネガティブだと思考する部分を
曝け出して感じて見つめる必要があるからだ
それは
自分が「欠けている人間だと」幻想させる
常に完璧でありたいと思い続けているからこそ
辛い現実と本音を突きつけられる
どんな自分もマルと
自分を認めることから
真の癒しにつながる
自分のダメと思うところ
否定する自分を受け入れるから
苦しいし難しいと感じる
気づきはその先にある。
そして気づきの先に
癒しと解放が用意されている
安心感と安堵感の
黄色と白の柔らかい光のエネルギーが流れている感覚
その感覚を知ると
自分と向き合うことが
「怖い」と無意識に幻想する感覚から
目覚められる
感情は埋めるのではなくて
心と向き合うことで
感情が穏やかに流れ出すんだ。
誰かに埋めてもらおうと
他者を求めたり
誰かに理解してもらおう・わかってもらおうと
同意や共感を求める必要もなくなる。
心の声や本音をノートに書き出す作業からしてみよう
そして同時に
心の音を聞いてみよう
どんな音がしていますか。
あなたの本心が聞こえますか。