人は人生の中で経験し学ぶ
威圧的な言葉によって
傷つく経験をすることで
人は、自分の殻に閉じこもったり
心が苦しくなり
飛躍的な思考は
自分の全てを否定されているように感じる
自分の全て
自分の人生全て
自分が生きている全て
自分が存在する全て
大きな視点に置き換えて
絶望してしまうほどに
責められている感覚を抱くこともある
自己否定
自分がダメな人間に感じて
自分なんて・・・
自分なんか・・・
どうせ・・・
否定的な思考は、どんどん浮かんでくる
そして、いつしか
人から言われた言葉なのに
自分が自分を責め始めている
同じ言葉を使って
自分がダメな人間に感じて
自分なんて・・・
自分なんか・・・
どうせ・・・
自分の思考の中に残る
バカだな・・・
そんなこともできないの・・・・
使えないな・・・
何やっても下手
何やってもうまくいかない
何やってもダメ
どうせ無理・・・
言葉は辛辣になる程
刃物に変わっていき
心に刺していく
その経験は
繰り返されるごとに
自己否定の思考が強まっていく
幼少期から今までの
何気ない日々の中を通して
辛辣な言葉によって
心に傷を作っている
親かもしれない、祖父母かもしれない、きょうだいかもしれない、友人かもしれない
親戚かもしれない 上司かもしれない 同僚かもしれない 恋人かもしれない
幼少期か、養育環境の中
学童期から成人まで
社会や地域の中で
受けてきた経験は
人からの否定的な言葉を
いつしか
自分の言葉かのように、すり替えて
自分が自分を否定する
すると、
自分が、人から言われたような人間に見えてくる
他者から受けたのに、
自分までもが
自分を否定していく。
自分が一番に、自分の味方になってあげられたらいい
そこに気づけたら・・・
でも、なかなかそうはいかない
パターン化した思考は、過去の記憶の衝撃と共に
自信を失い、自分を認めたり、ありのままの自分を受け入れられない
このままの思考を持ち続けることで
自信が薄れていき
自己を否定し
物事や人間関係がうまくいかなくなった時
自分を、自分で責めてしまい
自分を、自分で攻撃する思考が生まれる
過去の経験は無くならない
けれど、そこから得た学びはある
辛い経験したのに
悔しい思いをしたのに
悲しい経験をしたのに
寂しい経験をしたのに
許せないほどの・・・
なのに
そこに学びがある、と思いたくもない・・・・のが現実
それが自然なこと
そして
そう思えたことが
防衛反応が働いているということ
だから、
自分の味方を、自分がしてくれている事実だよ。
だけど、防衛して生き続けることは
同じように、守る人側になってしまい
自然と、攻撃を受ける人になってしまう。
引き寄せてしまうから・・・
自分を、自分で否定し続ける間は
自分が、それに値する自分であると認識するから
自己否定を止めることが大切になる。
防衛反応が働いていると気づいたならば、
自分が自分を守ってくれている
と、わかったならば
その防衛反応が働いていることを
信じてみる。
そして、
あの時の辛い経験を整理する
思考で整理し直す
はっきりと境界線を付けて
あの時の、あの発言は
自分のものではない!
ということを、もう一度イメージの中でしてみる。
やり方はイメージの中なので、簡単にできます。
『と、思った。(マル)』
『〇〇と、思った。(マル)』を付け加えて境界線を作る。
例えば、
こんな言葉を、他者から向けられた時
バカだな・・・
そんなこともできないの・・・・
使えないな・・・
何やっても下手
何やってもうまくいかない
何やってもダメ
どうせ無理・・・
あの時の光景を思い出して
そこに、言葉を発した人と
その当時の自分を白黒でイメージ
そこを影から覗く大人になった自分
ここに思考を合わせておく
「家政婦は見た」みたいなイメージの自分ね
壁から覗いてる |• •๑)
イメージの中での登場人物は3人ね。
対象者、当時の自分、家政婦は見た状態のその光景を覗く今の自分の意識
相手が暴言を吐き切った後に
こういうの
『と、思ったんだ。マル』
マルをつけることで、終わりの境界線なので大切。
「と、あなたは思ったんだね。」
と
自分の言葉ではない
自分に向けられた言葉ではないことを
しっかりと境界線をつける。
発言の持ち主が、発言者
だから
その人の言葉であり、
その人の持ち物だよ。
|• •๑)この状態で、言われているのを見る
バカだな・・・
そんなこともできないの・・・・
使えないな・・・
何やっても下手
何やってもうまくいかない
何やってもダメ
どうせ無理・・・
「と、あなたは思ったんだね。マル」 |• •๑)
今の意識の自分が言う
こういう言葉は、主語を持たないので
自分に向けられた言葉だと幻想する
自分に言われている現状や光景であっても
言葉は、発言者のものだから
受け取らなければいい。
そのために、言われた後に心の中で
バカだな・・・
そんなこともできないの・・・・
使えないな・・・
どうしようもないな・・・
お前には無理
お前にはできっこない
失敗するに決まっている
なんで、そんなこともわからないの
『と、思ったんだ。マル』境界線
あなた(対象者)のものよ!
ということを、
脳内で区別させる
例えば
毒親や上司によって、思考を支配されてしまうと
自分の価値がないように、感じたりする(錯覚・幻想)
なので
毒親や上司の発言の後に
「と、お母さん、(上司)はそう思ったんだ。」と心の中でいう。
辛辣な言葉は、受け取らない。
もしも、受け取ってしまったら
受け取ってしまったと
気づいた時に
あの時を再現して、言われた言葉の後に
「と、〇〇さんは思ったんだ!」と
今の意識の自分で
心の中で言い返して
しっかりと、
言葉の持ち主は自分自身ではないことを
境界づける
その言葉を、イメージの中で
持ち主の方へ、お返ししてください。
長年預かっていた言葉があったら
その当時の記憶をイメージして
再現が脳内でできたら、
「と、〇〇さんは思ったんだ。」といってみてね。
他者の価値観で測られた価値基準は、本当の自分とは別のもの
自分の思考だけでも、脳内整理は大変
だから
自分以外の人の価値観で測った
思考表現はいらない。
パターン化している思考は
手放した時にも、
確認するかのように
似た経験を引き寄せることが多い
「あ、お試しね・・・」って思うようなこと
その時に、同じように受け取ってしまう可能性は高い
パターン化しているから
でも、その後にイメージの中で
「と、〇〇さんは思ったんだ。」と境界線をつけることをしてみてください。
他者から受ける言葉は、他者のもの
自分の価値を示すものではない。
だって、
自分が生きる意味や生きている価値は
他者に操作できるものではないから
神聖なものであり、奇跡の連続だから
価値がある
価値がない
その判断で、
人生を生きていいという
基準はない。
価値がないと決める思考は
生きる意味を見つけたいから
でもね、
〇〇だから生きていい
っていう意味はない。
現在、命が与えられていることが
全ての答え
奇跡を与えられているという事実が
生きている意味
経験した後に意味付けして
経験した人生が、生きた証であり
生きる意味に変わる。